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確信犯の意味


                                       愛知学院大学教授 (刑事法)  原田 保

 平成29年2月に法科大学院ブログ「言葉・文化 ⑵」の中で「確信犯」について述べた。しかし、不正確な「正解」の定説化に対する憂慮が解消されないので、また述べる。必要事項の略説に留め、故意犯との異同を述べる論外の迷走には論及しない。

 「政治、宗教等の確信に基づいて行われる犯罪」という確信犯の定義を示す際に、刑法学者達は「現行法と相容れない規範的確信」を前提としていた。そのような内容の確信は、「現行法上の違法性の意識」を伴う。つまり、「現行法の規範」および「自分の確信する規範」という相互に相容れない「2個の規範」に直面し、後者の優越により敢えて前者に逆らって決意・遂行するのが、確信犯なのである。
 昨今の言説では、「正しいと信じて行う」「悪いと知りながら行う」という択一設問で、前者が「正解」であり後者は「蔓延した誤解」であるとされている。しかし、どちらも単独では確信犯の要素の「一部だけ」の表現になっている。前者は「正解」と呼ぶに足らず、後者は「誤解」と断言できない。両者を「択一」にする設問自体が誤謬である。
 前記文言を借用するなら、「悪いと知りながら正しいと信じて行う」のが確信犯であるが、これでは矛盾表現に見える。詳細に表現するなら、「現行法上は悪いと知りながら現行法と相容れない規範的確信に基づいて正しいと信じて行う」である。
 「2個の規範」は、刑法学者達にとって当然の了解事項だったから、定義中で明示されなかった。昨今の言説では、この点が看過されている。流布された択一設問では、「正しい」「悪い」が同じく「現行法の規範」による評価であるかのように見える。「正・悪」を単純に並列する限り、前者に「確信」「信念」等の言葉を付加しても「現行法と相容れない」ことは埋没し、現行法に基づくかのような外見は解消されない。
 「『現行法上』正しいと信じて」なら「違法性の錯誤」であって確信犯ではない。「『現行法上』悪いと知りながら」は「違法性の意識」であり、これに「現行法と相容れない規範的確信」が付加されれば確信犯だが、かかる行為動機を欠くと「規範意識鈍麻」でしかない。流布された択一設問は確信犯の中途半端な説明を分割して異なる概念として並べたものであり、これではどちらも正解にならない。

 刑事法学上の概念は、文化庁や国語学者が決める事柄ではない。正確な理解の普及を念願するところである。