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法と裁判について(第1回)


                                   愛知学院大学法務支援センター教授 梅田 豊

「DEATH NOTE(デスノート)」という漫画をご存知でしょうか。2003年から2006年にかけて「少年ジャンプ」に連載され、コミックの世界累計発行部数も3000万部を突破したという人気作品です。その後、映画・ドラマなどでも何度かリメイクされましたので、ご存知の方も多いでしょう。物語は、警察官の父を持つ非常に優秀な高校生の夜神月(やがみライト)という少年が、その人間の名前を書くと心臓麻痺で死なせることができるという死神のノート(=デスノート)を手に入れることから始まります。夜神月は、それを使えば理想の世界を作り上げることができると考え、自らの信じる「正義」を執行し、犯罪者の居ない新世界を実現するため、世界中の犯罪者たちの名をノートに書き記して殺害していきます(実際に顔(画像・写真等も可)を見た相手に限られるので、報道等で顔を見た犯罪者だけが対象となる)。やがて、刑務所等の中で犯罪者が次々に心臓麻痺で死んでいくという異変に気付いた警察は、世界一の名探偵・L(エル=仮名)に犯人の追及を依頼します。そこから夜神月とLとの間で展開される頭脳戦・心理戦が大変面白いです(結末は作品をご覧ください)。
さて、皆さんがもし本当にそのようなノートを手に入れたとしたらどうするでしょうか。自分の周りの気に入らない人たちの名前を全部書くでしょうか。それで実際にその人たちが死んでいったとしたら・・・想像するとちょっと怖い気もしますね。
ところで、作者自身は、夜神月の行うことが果たして正義なのか否かについては、読者の判断に委ねるという考えのようです。しかしこれは、法的には、非常に興味ある、でもなかなか難しいテーマです。
正義とは何か。夜神月は、犯罪者の居ない世界こそ真の正義が実現された理想社会と考えています。一見「ご尤も」と思えますね。しかし、法的に見た場合、そもそも犯罪とは何か、犯罪者(つまりその人が犯罪を犯したこと)をどうやって判断するのかというのは結構難しい問題です。「デスノート」の中では、最初は、既に凶悪な犯罪(強盗・殺人等)を犯して刑務所の中にいる人たちが主に対象となっています。しかし、Lや警察によって追及されていくに従い、次第にエスカレートして、自分の目的の妨げになる者も(犯罪者でなくとも)ノートに名前を書いて殺すようになります。正義の社会を実現する目的のためには許されるという訳です。そうなってくると問題ですね。夜神月の評価・判断が間違っていないという保証はどこにあるのでしょうか。目的のためには手段を選ばない(それを邪魔する人間は殺しても構わない)ということであれば、いわゆるテロリストと何が違うのでしょうか。そういう疑問が湧いてきます。
では、犯罪・犯罪者に対する法的な対応はどうあるべきなのでしょうか。次回以降で、「法的な正義」とそれを判断する場である「裁判」との基本的な考え方について、なるべく分かり易くお話してみたいと思います。
(AGLUS第4号(2017/11/25)掲載)