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確信犯の意味 [くどいけど、念のために]


                                       愛知学院大学教授 (刑事法)  原田 保

 平成29年2月の法科大学院HPブログならびに5月および12月の法務支援センターHPブログで述べた確信犯について、昨今の言説に理解不足や誤解があることを十分に認識して頂きたく、重複するが、確認的に述べる。

 まず、遂行された行為は、現行法の正しい解釈によれば悪いと評価される行為である。法の正しい解釈は裁判所の法解釈であり、これと異なる現行法解釈によって正しいと確信した場合は、確信犯ではなく「違法性の錯誤」である。
 そして、本駄文の「現行法と相容れない規範的確信」という言葉は、かつての刑法学者達による確信犯の定義を補足説明する趣旨による。この規範は現行法よりも高次の「あるべき法」や国の法を超越した「神の法」等であり、確信犯は「現行法上の悪い行為」だと承知の上で「世のため人のため」とか「神の御心」とかいった「崇高な動機」から「敢えて現行法に逆らう」のである。ここに確信犯の本質があり、行為動機が「非破廉恥罪」というラベルの理由である。組長の命令に必ず従う暴力団員や会社が儲けるためなら何でもする会社員等の場合は、行為者の認識でも全体社会の利益にならない部分社会の裏規範に対する忠実であり、このようなものは確信犯ではなく「規範意識鈍麻」でしかない。ラベルは通常の「破廉恥罪」である。
 なお、確信犯が起訴された場合に現行法上の適法性を主張する例もあり、「国家緊急救助」はその際に使用される論理だが、これは概して、現行法を論じる裁判の場で政治的主張を行うための方便または単なる罪責免脱手段でしかない。もしも現行法上の適法性を本気で確信していたなら、やはり「違法性の錯誤」であって確信犯ではない。

 以上の前提で、昨今流布されている択一設問選択肢の欠陥を指摘する。
1 正しいと信じて行う ← 評価基準は?
   1-① 現行法と相容れない規範により正しい、と信じていた →→ 確信犯
   1-② 現行法の規範により正しい、と信じていた →→→→→→→ 違法性の錯誤
2 悪いと知りながら行う ← 行為動機は?
   2-① 現行法と相容れない規範が命じたから →→→→→→→→→ 確信犯
   2-② 現行法の規範を軽視して自己の欲求を優先させたから →→ 規範意識鈍麻
 このように、昨今流布されている択一設問選択肢は、どちらも、2種類の異なる概念に跨る表現であり、確信犯であるか否かの特定に必要な言葉を欠いている。むしろ、現行法と相容れない規範的確信を持つ人は例外的少数者だから、この点を示す言葉がなければ専ら現行法の規範を想定するのが通常である。そうすると、当該選択肢の表現では、確信犯に係る1-①も2-①も認識できず、1は1-②の違法性の錯誤、2は2-②の規範意識鈍麻、という認識にならざるを得ない。これでは、どちらも正解にならない。
 1を「正解」とする人が「確信犯」の名で認識している概念は、実は「違法性の錯誤」なのかもしれない。そうであるなら、2に「誤解」のラベルを貼る前に、自身の誤解を糺すべきだ。2を「正解」とする人は、確信犯と規範意識鈍麻との相違を看過して「確定的な違法性の意識」を認識しているのかもしれない。これに故意犯概念の理解不足が加わると、「確信犯=違法性の意識=故意犯」という迷走に陥る。正しくは、「確信犯⊂違法性の意識⊂故意犯」である。

 文化庁調査の「正解」が「政治的、宗教的などの信念」という言葉で1-①の確信犯を示し得るとしても、同調査の「誤解」は違法性の意識を示す前記2の命題である。行為動機を示す言葉がないので、2-①の確信犯なのか2-②の規範意識鈍麻なのかを特定し得ない。だから、「誤解」という断言が不正確であると共に、「正解」として対置された命題が本当に確信犯を示す趣旨であったのか否かにも疑義が生じる。確信犯の要素たる違法性の意識に「誤解」のラベルを貼ったことに鑑みれば、当該択一設問起案者も、「政治的、宗教的などの信念」の内容が現行法と相容れないことを十分に理解することなく「2個の規範」を看過し、「確信犯」の名で「違法性の錯誤」を認識していた可能性を否定し難い。

 いずれにせよ意味を特定できない選択肢を掲げる択一設問自体が誤謬であるが、誤謬の原因は簡略な定義にある。「政治、宗教等の確信に基づいて」という一言で「現行法上の違法性の意識を有しながら現行法と相容れない規範的確信を行為動機とする」旨を理解することは困難である。一言で済ませたのは、刑法学者達の関心が責任非難可否や処遇方法選択にあり、自分達にとって自明な確信犯の意味を一般に周知させる意思を持たなかったからだと推測できる。
 だから、不正確な理解に留まる人がいても不思議ではない。理解不足を自覚しない人もいる。完璧に理解したと錯覚した人が、評価基準・行為動機の如何を看過して「正しい」「悪い」という言葉で表現を改変し、意味を改変した。ハイテク機器を素人判断で改造して壊したようなものだ。どの分野でも、日本語だから判ると即断することは危険であり、専門用語には慎重であるべきだ。これは自戒である。
(平30・1・30)