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撒骨(散骨)適法説の暴走 [撒骨・その11・しつこいけれど]


愛知学院大学教授 (刑事法) 原田 保

 撒骨に関する刑法解釈上の問題は人骨撒布に係る当罰的法益侵害の有無であるところ、現行法の遺骨遺棄罪は社会法益犯罪であり、法益の内容は「国民の宗教感情」「死者に対する公衆の敬虔感情」と表現される。抽象化された公衆・一般人が当該行為に対して抱くと想定される感情である。「大多数の人々は人骨撒布という事実を知ったら如何に感じるか」という判断である。
 「人に気付かれなければよい」「近くに人がいなければよい」という言説は、問題が「知ったら如何に感じるか」であることを看過している。具体的に特定される「その場に居合わせた人」の感情だけを論じており、法益の主体が「抽象化された公衆・一般人」であることと合致しない。現行法解釈論の心算なら、論点齟齬の誤謬である。

 更に、この言説は、「気付いた人が不快感を覚える」との認識を示している。週刊ダイヤモンド106巻43号 (平30・11・10) 98頁によれば、米国のディズニー・ワールドで密かな撒骨が後を絶たず、骨を発見した職員は来客に判らない隠語で連絡して収拾除去する由である。日本の同種施設における同種事例の有無は駄文筆者の知識外だが、これも人々が撒骨に不快感を覚えるという事実を示している。
 人々に不快感を与える行為なら、「するな」が社会的常識だと思われるが、某撒骨推進論者は「気付かれるな」と指示している。被害の「発生」と「発覚」とを混同しており、これも論点齟齬の誤謬である。気付かれることが被害発生なら、気付かれずに浴場等を「ひそかにのぞき見た」窃視罪は処罰根拠を欠くことになる。「バレなければ罪にならない」という暴論を、堂々と主張しているのである。

 ここで詳論する余裕はないが、「公然性」を拒絶して、「葬送」とは真逆の方向に暴走しようとしている。このような方法が「節度」の名で論じられていることは、「節度」という言葉の有害性を明白に証明している。

 かかる暴走の原因は、約四半世紀前に報道された「節度があれば適法」という「法務省見解」である。

 まず名義の問題がある。法務省にこのような見解表明の権限はない。公刊物に同旨見解を述べた法務官僚は見当たらない。逆に、異なる法解釈を述べた法務官僚や、法務省見解表明の不存在を明言した法務官僚は、公刊
物で確認できる。つまり、「節度があれば適法」という見解には、法務省内の合意も承認もない。発言者1人だけの見解だから、公式にも非公式にも「法務省の」見解である筈がない。某法務官僚の「個人的見解」が、故意か過失か、「法務省の見解」という偽名で流布されたのである。
 内容にも問題がある。世論の過半数が撒骨反対という状況で社会通念を基準とする犯罪の不成立を断言することは、社会の実態に反する誤謬である。また、適法評価の前提とされた「節度」は、余りにも曖昧であって判
断主体も明示されていないから、判断基準の用をなさない。学会でも、過去にこんな学説は存在しなかったし、現在でも賛同者は見当たらない。法解釈に関する見解として扱われた例はなく、全く無視されている。

 でも、官庁の職務権限や学会の学説状況は、一般に周知されていない。多くの人々が、本当に「法務省の」見解だと誤信し、「法務省」という名義の権威に服従して当該言説を無批判に受容している。これが、撒骨賛成
意見増加の実態である。虚偽情報に支配された思考停止状態で捏造された虚構の社会通念であり、正確な知識に基づく真摯な思考の成果ではない。
 加えて、「節度」は極度に多義的で曖昧だから、具体的内容については様々な理解があり得る。だから、多数の撒骨業者や撒骨推進団体が、各々自分の考えで「節度」の内容を具体化しようとする。でも、法律や宗教に関する理解が十分だとは限らないから、往々にして迷走・混乱に陥る。前述の「気付かれないことが節度だ」という暴走は、その一例である。

 かかる現状は、刑法研究者の責任でもある。葬送や宗教に関する研究も情報発信も不十分だ。この問題に関する確固たる刑法解釈論が人々に共有されていないから、没論理的適法説が蔓延してしまった。刑法研究者は、もっと努力するべきだ。これは自戒である。
 でも、専門家だけの問題ではない。社会法益の内容たる風俗・社会通念は、司法の場では裁判官の専権事項たる法解釈の問題だが、真実の実体は人々の行動・思考である。日本国居住者全員が、その一端を担っている。
「法務省が認めた」という虚偽に騙された状態の行動・思考は、排斥するべき迷妄であって、法適用に使用するべき風俗・社会通念ではない。だから、司法関係者がこの国の風俗・社会通念を適切に判断できるように、多くの人々が正確な情報に基づく真摯な思考を以て議論するべきなのだ。さもなければ、撒骨適法説は暴走を続け、この国の葬送は無法地帯になる。
(令元・7・22)