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葬送の「公然性」


愛知学院大学教授 (刑事法) 原田 保

撒骨 (撒骨) に関するブログの11で触れた話だが、撒骨に限ったことではない。死体遺棄罪等の成立範囲および墓埋法違反罪等の葬送関係行政規制違反罪との区別に関する試論である。

 墓埋法の規制に違反する「埋葬・火葬」が同法違反罪実行行為として規定されているのだから、「埋葬・火葬」だと認められない行為は同罪構成要件に該当し得ない。そこで、同罪成否論証は、まず「埋葬・火葬」であるか否かを判断し、「埋葬・火葬」に該当するなら、次に墓埋法の規制に適合するか違反するかを判断する、という順序になる。「埋葬・火葬」に該当しない行為なら、墓埋法違反罪の問題ではなく、専ら刑法の死体遺棄罪等の問題である。
 このように、死体取扱については、「埋葬・火葬」即ち「葬る」行為であるか否かを、まず判断しなければならない。これが、墓埋法等の行政規制違反罪の問題か、刑法の死体遺棄罪等の問題か、という区別の基準である。然るに、墓埋法は、「葬る」という言葉を使用しながら、その定義を規定していない。だから、これは法解釈として論じる他ない。墓埋法の規制に先立つ判断だから規制への適合・違反は判断基準にならない。船員法の「水葬」についても、同様の論理になる。

 判例を概観すると、死体遺棄罪とされた行為は概して死体発見を困難化する隠匿である。隠匿と遺棄との関係如何という問題もあるが、ここでは論及しない。死体の埋没隠匿は、専ら死体遺棄罪であり、墓地外でも墓埋法の墓地外埋葬罪ではない。また、場所が墓地であっても、悲嘆感情や冥福祈念意思があっても、合掌しても、死体遺棄罪の成立が否定されることはない。これらの行為は、「埋葬」ではなく「遺棄」なのである。
 墓埋法違反の埋葬・火葬に関する公刊判例は乏しいが、貴重な判例として東金簡判昭35・7・15下刑集2巻7・8号1066頁がある。これは、夫の死体を埋葬する場所を失った妻が自宅敷地内に死体を埋めて墓標を建てた行為が墓地外埋葬罪で起訴された事案である。第一審は無罪を宣告したが、理由は適法行為期待可能性欠如による責任阻却であり、墓地外埋葬罪構成要件該当違法行為である旨は認定されている。死体遺棄罪は問題にされていない。「埋葬」であって「遺棄」ではないと認められたのである。

 両者を対比すると、「ここでこの人を葬る」という事実が傍目に判るか否か、という相違が看取される。判る状況なら、人々は追慕・拒絶の行為選択が可能になる。従前から葬送の要素とされてきた事柄が満たされる。
 ならば、「傍目に判る」という「公然性」を、追慕・拒絶と共に、葬送の要素と認めなければならない筈だ。社会法益の観点からも、他者の認識可能性は必須である。遂行者の内心だけで葬送になる訳ではない。
 海洋撒骨に関する「喪服を着るな」「骨壺を隠せ」「レジャーを装え」といった指示は、撒骨という事実の隠蔽・秘匿に他ならない。公然性に対する明白な拒絶である。公然性が葬送の要素であるなら、葬送になることを拒絶していると評さざるを得ない。だから、「葬送とは真逆の方向」への暴走だ、と書いたのである。

 駄文筆者には、官庁の権威を偽装して異論を抑圧する術もない。賛否は自由だが、どちらの結論でも正確な論理を要望する。
(令元・8・25)