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「永山判決」の意義


愛知学院大学教授 (刑事法) 原田 保
 最二小判昭58・7・8は死刑選択基準を示した判例と称されるが、正確な理解を欠く言説が少なくない。本件上告審判決の意義は、
 1 死刑は、裁判官の全員一致でなくても、選択可能である。
 2 死刑は、特別予防上の必要性がなくても、選択可能である。
 3 死刑は、数罪併合罪全部への総合評価として、選択可能である。
という3つの命題にある。以下、各々について述べる。

1 死刑は、裁判官の全員一致でなくても、選択可能である。
 裁判所法は多数決による量刑を規定しているが、駄文筆者は学生時代に某裁判官から「死刑に限って全員一致」という実務慣行の話を聞いたことがある。本件控訴審は、第一審の死刑判決を破棄する際に、全員一致を立法論として援用し、どの裁判所でも死刑を選択する筈の場合に限る旨を説示した。全員一致の要求に等しい司法判断である。
 全員一致という死刑回避策は、法律の明文規定に違反している。本当に慣行があっても、公式に認容することはできない。上告審は、控訴審判決を破棄して、法律と判例との矛盾を防止したのである。

2 死刑は、特別予防上の必要性がなくても、選択可能である。
 上告審判決は、多数の考慮事情を列挙しているが、反省の態度・改善更生の可能性・再犯の危険性、といった、特別予防に関わる事情を掲げていない。特別予防的考慮は、判例・学説が当然視しているところであって、禁止も失念もあり得ない。意図的な不言及である。
 本件被告人は、獄中での猛勉強の末に、反省という言葉では済まない強烈な自己批判を行った。これを著書にして、印税収入を被害者遺族への賠償に充当した。十分に改善されている筈であり、再犯は想像し難い。
 でも、現在の被告人が如何に立派な人物に変貌しているとしても、過去の被告人の行為は、生き続けることが絶対に許されない重大犯罪だった。特別予防の要否を考慮するまでもない。上告審が本件で特別予防関係事情を考慮事情説示から敢えて外したのは、かかる趣旨による。

3 死刑は、数罪併合罪全部への総合評価として、選択可能である。
 上告審が考慮事情の1つとして「被害者の数」を掲げたことの意義である。これを「被害者が1人なら死刑不可」と解するのは全く筋違いの誤謬であり、意義は別の点にある。
 殺人罪は被害者毎に成立するが、被害者数の考慮に基づく死刑選択とは「多数の人を殺したから死刑だ」という数罪1刑の判断である。被害者毎に成立した数個の罪1個ずつの個別評価ではなく、数個の罪を全部纏めた1個の総合評価である。永山判決がこの方法を肯定した旨は、法研会論集19巻1・2号28頁、受験新報684号29頁でも指摘されている。なお、駄文筆者はこの方法が刑法の量刑作業順序規定に違反すると解するが、この点については法科大学院HP平成25年12月掲載・法務支援センターHP平成29年5月転載のブログ「量刑問題の検討方法」を御参照頂きたい。
 最二小決平19・3・22は数罪総合評価に基づく刑種選択を明示的に肯定したが、永山判決は既にこの方法を黙示的に肯定していたのである。かつての連続犯処断と同様の方法なのだが、従前の方法を継続するだけで、重大な科刑方法提示になることは意識されていなかったと推測される。

 以上の命題を「死刑選択基準」と呼ぶかどうかは、論者の自由である。
(令2・6・24)