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「別府大仏」研究途中報告 [第2回]


愛知学院大学教授 (刑事法) 原田 保
 勤務先で機会を頂いて再度報告した。結論には到達したが、まだ疑問があるので、また「途中報告」と題し、令元・12・24ブログの続きを書く。

 前回ブログで疑問を提示した信栄寺と宝持寺との関係につき、重要な情報が得られたので、まず述べておく。
 『大分県公文書館だより平成31年第26号』の記事「別府の大仏」に掲載された「写真①」は、同館所蔵の別府大仏に関する文部省の照会に対する大分県の回答の一部である。「別府市佛心宗」「大佛山信榮寺」という記載の左側に、右のように照会があったが大分県庁台帳には「寶持寺」と登録されている旨の付記がある。これが、重要な情報である。
 宝持寺は、臨済宗妙心寺派に所属している。信栄寺が別府市仏心宗という別の宗派に所属しているなら、宗教上は別の寺院である。住職任命権者も異なるから、自ら開山して住職になることもできる。その旨のインターネット記事は、かかる理解を前提とすれば、成立可能な説明になる。
 しかし、別の寺院では、照会と回答との間に齟齬が生じる。だから、行政当局は、照会に係る信栄寺とは登録されている宝持寺のことだ、という前提で処理した。これは、同じ寺院という理解である。
 こうして、信栄寺・宝持寺は、宗教上は別の寺院、行政上は同じ寺院、という複雑な状態であったと考えられる。別府大仏建立者僧名「栄信」の文字を使う「信栄寺」という名称には強い執着が窺えるが、公認されないから、標榜には別の宗派名を付する他なかった。そして、独自に標榜した非公認の「信栄寺」が広範に使用され、公認の「宝持寺」は行政当局および臨済宗妙心寺派以外では殆ど使用されず、周知されていなかったと推測できる。これが、平成5年新築堂宇玄関灯の「宝持寺」という寺院名を見て、「別の寺院が来た」と誤解する一因になったと考えられる。

 本題の法的評価については、別府大仏の建立も解体撤去も適法であったとの結論に到達した。以下、その解釈論を略述しておく。
 まず、別府市火葬場残留骨は遺骨等損壊遺棄領得罪の客体ではなく、各地から送付された遺骨等は同罪の客体であるが、仏教信仰に基づく礼拝対象とすることは社会通念に反しない。授受が贈与ではないとしても、付合により別府大仏所有者の所有物になり、葬送祭祀に係る各遺族の権利は混和状態の遺骨等の全体に対して持分的に維持されている。そして、礼拝対象たる別府大仏が完成すれば、当初は遺骨概念から排除されていた火葬場残留骨も、爾後は死者の記念のために保存されることになるから、各地から送付された遺骨と同じく前記犯罪の客体たる遺骨になる。
 次に、別府大仏の破砕自体は所有者による処分だとしても、爾後の移動先には困難な問題がある。コンクリートは廃棄物処理場、人骨等は墓地、というのが適法な行先であるが、別府大仏の残骸は両者の分離不可能な結合体である。どちらに移動させても、どちらかの法令に抵触するなら、対処不可能な義務衝突状態である。
 実際に執られた措置は、廃棄物処理場での瓦礫投棄および別府大仏跡地での「別府大仏体内之諸霊位」石塔建立である。石塔の中には、人骨が収蔵されている。容積に鑑みれば別府大仏で使用された人骨等全部である筈はないが、人骨等は別府大仏建立準備中から混和状態であったから、各遺族の権利は持分的に抽象化されており、一部でも保存されていれば全遺族の権利の対象は維持されている。投棄された人骨等については、火葬場での一部収骨・残余放棄と同様に評価できるなら、適法であると解し得る。
(令3・3・31)