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熊本死産児遺棄事件寸評


愛知学院大学名誉教授・弁護士 原田 保
熊本のベトナム人技能実習生に係る死体遺棄被告事件上告審判決が宣告されたので、取り急ぎ若干の論評を行う。背景にある技能実習生制度の問題は、日本国として刑事法の解釈適用よりも重大であるが、論及しない。

 本件の内容については、概ね周知されていると認められるので、略述に留める。妊娠を隠していた独居の未婚女性が自室で分娩したが、死産であった。女性は、死児をタオルで包み、段ボール箱に収納して翌日まで室内の棚に置いていた。これが、死体遺棄罪で立件された。各審級の結論は、
  熊本地判令3・7・20:不作為死体遺棄罪成立・懲役8月猶予3年
  福岡高判令4・1・19:作為死体遺棄罪成立・懲役3月猶予2年
  最二小判令5・3・24:無罪
である。無罪判決は弁護活動の成果であるが、若干の問題を指摘する。
 まず、作為死体遺棄罪の訴因に関する刑事訴訟法の問題がある。起訴状記載の訴因は不作為死体遺棄罪であった。作為死体遺棄罪の訴因は論告において作為と不作為との結合した死体遺棄罪との主張で初めて提示されたが、訴因変更手続は執られていないから、同罪訴因の訴訟係属に疑問がある。訴訟係属していたなら第一審が作為死体遺棄罪に論及しなかった点は判断遺漏であり、訴訟係属していなかったなら控訴審が作為死体遺棄罪を認定した点は不告不理違反である。不告不理違反なら上告審は同罪の公訴棄却を宣告するべきであり、そうすると同罪不成立は傍論での説示に留まらざるを得ないことになる。主文での無罪宣告は、冤罪救済としては望ましいが、刑事訴訟法の解釈適用としては疑問が残る。
 また、遺棄概念に関する刑法解釈につき、場所的離隔がない点および隠匿を遺棄と解する点において、遺棄の認定には語義逸脱の疑いがある。これは、従前から指摘されていた問題であり、弁護人も主張した。しかし、上告審はこの問題を論じておらず、無罪の理由は本件行為が習俗上の埋葬等と相いれない処置とは認められないことである。場所的離隔の不存在による無罪は、名古屋高金沢支判平21・7・12や大阪地判平25・3・22との両立可能性に関する議論を要することになる。隠匿は遺棄ではないとの解釈による無罪は、学会の通説に反して福岡地飯塚支判昭40・11・9や前記大阪地判の解釈を否定することになる。上告審は、本件事案での法益侵害性を否定するに留め、判例・学説との抵触問題を回避したと評価できる。
 そして、習俗上の埋葬等と相いれないという違法評価基準は、習俗との完璧な合致がなくても適法評価可能という趣旨に解されるが、その判断には葬送の要素に則した検討を要する。要素の列挙は省略するが、本件では死体視認防止および埋葬場所の公然性が問題となる。死体を段ボール箱に入れて見えなくしたことを隠匿と称するとしても、それは通常の納棺でも同様である。死体視認防止は普遍的な葬送の要素であって、それ自体は違法評価できない。非葬送として違法評価するべきか否かは死体の所在場所や爾後に予定された処置に基づく検討を要し、隠匿即遺棄という解釈はこの点を看過した短絡思考である。爾後の処置についても、検察官は死体を勝手に埋めて隠すことが被告人に可能な唯一の方法であって葬祭と認められる行為はできないと論じているが、墓標によって死体埋蔵を公然化すれば墓地埋葬法違反の埋葬であって死体遺棄罪ではない。死体が見えなくなれば隠匿であり遺棄であるという短絡思考が、ここにも見出される。
 そもそも、本件は軽犯罪法の死胎不申告罪を論じるべき事案であり、刑法の死体遺棄罪は前述した短絡思考による早計な立件であった。葬送の要素に則した検討によって、かかる短絡思考を排斥することが必要である。
(令5・4・3)