ストーカー規制法の欠陥放置
愛知学院大学法科大学院教授 (刑事法) 原田 保
(序) ストーカー規制法改正に関する有識者検討会議報告に接したが、立法当初から指摘されている問題への対応はない。この駄文筆者は検討会議に招聘されるような有識者ではないが、重大問題だと考えている事柄の幾つかを指摘する。
① 怨恨
現行法は特定の者に対する「好意」または「怨恨」の感情をストーカーの要件としているが、敵対感情を「怨恨」と表現している点に問題がある。ストーカーの動機となる敵対感情は、「怨恨」だけでなく、「憤激」「憎悪」等々、多様である。ライヴァルへの「嫉妬」を動機とするストーカーの実例も珍しくない。
しかし、「嫉妬」を「怨恨」と認定することは語義上不可能であるから、「嫉妬ストーカー」を現行法で規制・処罰することはできない。現に、この類型に属する「裁判官夫人ストーカー事件」はストーカー罪で立件されながら別の罪だけで起訴された。現行法が敵対感情を「怨恨」に限定したことは、敵対感情について「振られて恨む」場合しか想定しなかったという考慮不足による不合理な立法である。
② 特定の者
現行法は怨恨感情の対象者が当初好意対象者であることを想定しているが、行為動機たる敵対感情の形成過程・対象者は多様である。XがAに好意を抱いた場合、「Aが好意を抱くB」や「Aに好意を抱くC」も、Xの敵対感情の対象となり得る。Aのストーカー被害に対応する弁護士のように、ライヴァルではないDがXに対する妨害者としてXの敵対感情を向けられることもある。これらの場合、当初好意対象者Aとは別のBCDがXの敵対感情の「直接的」対象者になる。
そして、現行法上のストーカー行為対象者は、「当初好意対象者」および「密接関係者」である。ストーカーが「感情の直接的対象者」だけでなくその家族等を狙うこともあるから、「密接関係者」を規定したことは正しい。しかし、現行法が「感情の直接的対象者」を「当初好意対象者」に限定したため、被害者の範囲が不合理に狭くなっている。
AとBCDとの間に「密接関係者」と認め得る程度の関係が形成されていなくても、BCD本人やBCDの家族等がXの攻撃的行為の対象とされることはあり得る。BCDがAの「密接関係者」であっても、BCDの家族等までAの「密接関係者」であるという保証はない。
このような場合が規制・処罰の穴になっていることは明白であり、この欠陥は「当初好意対象者」以外の者も敵対感情の「直接的」対象者になり得ることを看過してこれを「密接関係者」の範疇に留めたために生じたものである。これも前記「怨恨」問題と同様の考慮不足である。
③ 同一の者
現行法は、当初好意対象者以外の者もストーカーに狙われることを想定しながら、「同一の者」に対する行為反復を要件としている。その結果として、「本人に1回+本人の親に1回」の場合、親子双方にとって規制・処罰を求めて当然の不安が発生しているのに、ストーカー行為にならない。固定電話への無言電話は、誰に対するものか特定できないこともある。
問題は、現行法がストーカー行為による不安の発生を「1人ずつ」の単位で構成している点にある。不安が「直接的対象者+密接関係者」という「人的結合」を単位として発生するという人間関係の実態を無視することも甚だしい。
④ 行為の主体
現行法は感情を抱いた本人がストーカーになる場合を想定しているが、行為の主体が感情の主体と同一人物であるとは限らない。「桶川事件」の犯人は振られた男の兄および知人であった。行為の主体は元々の好意感情を持っていないのでストーカーに該当しない。感情の主体は行為をしていないのでやはりストーカーに該当しない。間接正犯・共犯の論証は困難であり、どちらの者にも警告・禁止命令を発することはできない。このような「代行ストーカー」は現行法に規定されていないので、将来「桶川事件」と同一態様の事件が起こっても現行法では対応できない。「桶川事件」を契機としながら「桶川事件」の態様に適用できない法律を制定したことを適切に論評する言葉は、駄文筆者の語彙にない。
(結) 詳細や他の問題については、愛知学院大学論叢法学研究43巻1号 (平14) 131〜158頁、同52巻3・4号 (平23) 409〜431頁の拙稿および引用文献を御参照頂きたい。反復基準に関して当初の号単位説から最高裁の判示した1項包括説に運用を改めたことは適切である。新たな情報手段に対応する規定を追加することも当然である。しかし、警察庁が立法当初からの問題点を放置しているのは何故なのか?検討会議における有識者の任務は所轄官庁が提示した論題だけで他の話はできないのか?それとも、この駄文に書いた話は論じるに値しない些末あるいは愚劣な事柄なのか?無識者である駄文筆者には判らない!
(序) ストーカー規制法改正に関する有識者検討会議報告に接したが、立法当初から指摘されている問題への対応はない。この駄文筆者は検討会議に招聘されるような有識者ではないが、重大問題だと考えている事柄の幾つかを指摘する。
① 怨恨
現行法は特定の者に対する「好意」または「怨恨」の感情をストーカーの要件としているが、敵対感情を「怨恨」と表現している点に問題がある。ストーカーの動機となる敵対感情は、「怨恨」だけでなく、「憤激」「憎悪」等々、多様である。ライヴァルへの「嫉妬」を動機とするストーカーの実例も珍しくない。
しかし、「嫉妬」を「怨恨」と認定することは語義上不可能であるから、「嫉妬ストーカー」を現行法で規制・処罰することはできない。現に、この類型に属する「裁判官夫人ストーカー事件」はストーカー罪で立件されながら別の罪だけで起訴された。現行法が敵対感情を「怨恨」に限定したことは、敵対感情について「振られて恨む」場合しか想定しなかったという考慮不足による不合理な立法である。
② 特定の者
現行法は怨恨感情の対象者が当初好意対象者であることを想定しているが、行為動機たる敵対感情の形成過程・対象者は多様である。XがAに好意を抱いた場合、「Aが好意を抱くB」や「Aに好意を抱くC」も、Xの敵対感情の対象となり得る。Aのストーカー被害に対応する弁護士のように、ライヴァルではないDがXに対する妨害者としてXの敵対感情を向けられることもある。これらの場合、当初好意対象者Aとは別のBCDがXの敵対感情の「直接的」対象者になる。
そして、現行法上のストーカー行為対象者は、「当初好意対象者」および「密接関係者」である。ストーカーが「感情の直接的対象者」だけでなくその家族等を狙うこともあるから、「密接関係者」を規定したことは正しい。しかし、現行法が「感情の直接的対象者」を「当初好意対象者」に限定したため、被害者の範囲が不合理に狭くなっている。
AとBCDとの間に「密接関係者」と認め得る程度の関係が形成されていなくても、BCD本人やBCDの家族等がXの攻撃的行為の対象とされることはあり得る。BCDがAの「密接関係者」であっても、BCDの家族等までAの「密接関係者」であるという保証はない。
このような場合が規制・処罰の穴になっていることは明白であり、この欠陥は「当初好意対象者」以外の者も敵対感情の「直接的」対象者になり得ることを看過してこれを「密接関係者」の範疇に留めたために生じたものである。これも前記「怨恨」問題と同様の考慮不足である。
③ 同一の者
現行法は、当初好意対象者以外の者もストーカーに狙われることを想定しながら、「同一の者」に対する行為反復を要件としている。その結果として、「本人に1回+本人の親に1回」の場合、親子双方にとって規制・処罰を求めて当然の不安が発生しているのに、ストーカー行為にならない。固定電話への無言電話は、誰に対するものか特定できないこともある。
問題は、現行法がストーカー行為による不安の発生を「1人ずつ」の単位で構成している点にある。不安が「直接的対象者+密接関係者」という「人的結合」を単位として発生するという人間関係の実態を無視することも甚だしい。
④ 行為の主体
現行法は感情を抱いた本人がストーカーになる場合を想定しているが、行為の主体が感情の主体と同一人物であるとは限らない。「桶川事件」の犯人は振られた男の兄および知人であった。行為の主体は元々の好意感情を持っていないのでストーカーに該当しない。感情の主体は行為をしていないのでやはりストーカーに該当しない。間接正犯・共犯の論証は困難であり、どちらの者にも警告・禁止命令を発することはできない。このような「代行ストーカー」は現行法に規定されていないので、将来「桶川事件」と同一態様の事件が起こっても現行法では対応できない。「桶川事件」を契機としながら「桶川事件」の態様に適用できない法律を制定したことを適切に論評する言葉は、駄文筆者の語彙にない。
(結) 詳細や他の問題については、愛知学院大学論叢法学研究43巻1号 (平14) 131〜158頁、同52巻3・4号 (平23) 409〜431頁の拙稿および引用文献を御参照頂きたい。反復基準に関して当初の号単位説から最高裁の判示した1項包括説に運用を改めたことは適切である。新たな情報手段に対応する規定を追加することも当然である。しかし、警察庁が立法当初からの問題点を放置しているのは何故なのか?検討会議における有識者の任務は所轄官庁が提示した論題だけで他の話はできないのか?それとも、この駄文に書いた話は論じるに値しない些末あるいは愚劣な事柄なのか?無識者である駄文筆者には判らない!