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TOP >  ブログ >  2017年度 >  忘れられたままの被害者

忘れられたままの被害者


                                         愛知学院大学教授 (刑事法) 原田 保

 司法試験で出題されることはないだろうが、軽視できない法律問題だと考え、また駄文を書く。一部は、拙稿以外にも既に指摘がある。

[序]
 かつて「忘れられた」存在であった被害者の権利が今は強く主張されているが、問題が多々ある。駄文筆者は過去のブログで若干の私見を述べたが、今回は「依然として忘れられている被害者」について述べる。それは、幾度か述べた犯人死亡事件被害者の他に、職権濫用事件被害者、不当に軽微な罪で起訴された事件の被害者、そして冤罪被害者である。
 責任阻却無罪事件も犯人未検挙事件も、犯人処罰が行われない点では犯人死亡事件と同様であるが、ここには掲げない。前者では特定された犯人への対応が論じられ、後者では捜査が継続されていて、どちらも忘れられているとは評し難い。前者は責任阻却規定への批判、後者は公訴時効規定への批判、という問題を内包しており、別の検討を要する。

[1] 犯人死亡事件被害者
 これは、被害者の権利を専ら刑罰・刑事司法の中だけで論じるという方法が不適切であることを、典型的に示している。被害者の権利が犯人処罰であるなら、犯人が死亡すると被害者には何の権利もないことになる。民事の損害賠償も同様である。それはおかしい、という主張がどうして大きな声にならないのか、駄文筆者には全く理解できない。犯人死亡事件の被害者は、完全に忘れられているようにしか見えない。
 被害者の権利は、被害があれば直ちに論じられるべきであり、犯人への責任追及を前提条件とするものであってはならない。犯人死亡事件の被害者も、犯罪被害者としての権利を保障されるべき地位にある。だから、犯人への責任追及とは別の制度を要する。犯罪被害者等給付金だけでは決して完了しない。詳細は過去のブログで述べたので、反復しない。

[2] 職権濫用事件被害者
 厳密に言えば、警察官による職権濫用や暴行陵虐の事件で警察当局が当該警察官の無罪を主張している場合の被害者である。警察庁も各都道府県警察も警察が犯罪被害者支援を行う旨を表明しているが、このような被害者に対して、警察は支援を行うどころか逆に敵対することがある。
 警察当局が犯罪不成立と判断した場合、警察当局の見解によれば犯罪被害者は存在しない。故に、警察による犯罪被害者支援の対象にならない。犯罪成立の主張は、不当な言いがかりでしかない。
 勿論、本当に職権濫用罪不成立という事案も多々ある。しかし、そうであっても、警察が組織を挙げて被疑者・被告人の弁護団になることは、現行法の諸規定に反する違法行為である。そして、職権濫用罪成立の嫌疑が濃厚な事案で警察当局が当該警察官に対して合理性を欠く擁護に徹した事例は、現に存在する。準起訴決定を経て有罪が確定した警察官の事案について、警察当局が如何に不当な対応をしていたかを詳細に述べた書籍や論文も存在する。
 一般的犯罪で「被害者の味方」を標榜する警察が、警察官職権濫用事件では時として「被害者の敵」になって再度の被害を与える。この事実を看過してはならない。このような事件では、警察による被害者支援を期待することができない。故に、公的な制度としての被害者支援を専ら警察に委ねるという方法では、全く対応できない。被害者支援の重大な欠落点である。この問題に関する議論が乏しいという現状は、職権濫用事件被害者を無視あるいは失念しているとしか評し得ない。

[3] 不当軽微起訴事件被害者
 駄文筆者は「被害者の権利=犯人処罰」ではない旨を幾度も述べているが、犯人処罰に関する意見表明が被害者の権利に属することを否定する趣旨ではない。ここでは、そのような意見表明が封じられている場面の存在を指摘し、犯人処罰に関する被害者の権利ですら必ずしも保障されてはいない旨を述べる。
 例えば被害者遺族が殺人罪成立と考えている事件について、検察官が不起訴処分を行った場合には、遺族は「殺人罪成立・起訴相当」を主張して検察審査請求を行うことができる。職権濫用事件なら、準起訴請求という方法もある。
 ところが、当該事件を検察官が傷害致死罪や過失致死罪で起訴したら、「殺人罪成立」という主張の制度的機会が失われる。検察審査制度も準起訴制度も検察官の「不起訴処分」を前提としているから、如何に不当に軽微な罪を掲げていても、検察官が起訴した事件はこれらの制度の対象にならない。検察官の判断は間違っていると主張して別の機関の判断を求める制度はない。
 勿論、検察官の判断が正しいことも珍しくはない。しかし、被害者や遺族が違う意見を持っているなら、それを主張する機会を認めなければ被害者の権利を保障することにならない。
 そして、検察官の判断が不当である場合の問題は、被害者の権利に留まらない。当該事件で裁判所が「殺人罪成立」という心証を形成しても、検察官が傷害致死罪や過失致死罪の訴因を維持する限り、殺人罪成立の認定は不可能である。検察官の恣意が明白であっても、是正手段はない。刑事司法制度の重大な欠落点である。
 更に、刑事被告事件における被害者の地位についても、同様の問題がある。被害者保護を標榜する立法の一環として刑事被告事件への被害者参加が刑事訴訟法に規定されたが、被害者の参加も発言も全面的に検察官経由という内容であり、検察官は被害者の申出を裁判所に通知する際に「不相当」という意見を付することもできる。被害者を「検察官側」に位置付ける制度であり、被害者自身の判断で参加・発言して裁判所の判断を求める権利は保障されていない。駄文筆者の私見によれば、このような制度で保障されているのは「被害者を利用する検察官の権利」であって「被害者の権利」ではない。
 これらの点については従来から批判があり、被害者の訴因提出権や私人訴追という立法論も主張されている。しかし、依然として大きな声にはなっておらず、改善の動向は認められない。
 そして、不当に軽微な起訴は、暇な学者の考える教室設例ではなく、実例が現に存在する。日本の刑事司法における深刻な現実的問題であるにも拘らず、放置されている。不当軽微起訴事件被害者は、忘れられたままになっている。

[4] 冤罪被害者
 冤罪問題自体は頻繁に議論されており、決して忘れられてはいない。ここで指摘するのは、雪冤後の対処に関する欠落点である。冤罪に関する議論は再審開始決定や無罪認定の獲得に集中しており、その後の対処については驚愕する程に議論が乏しい。
 再審無罪として著名な事件を挙げると、「弘前大学教授夫人殺し事件」では罰金5000円、「免田事件」では懲役6月、という刑が、再審公判で宣告されている。知らない人もいるようだが、冤罪部分に関する無罪宣告と共に、原審で併合審理されていた余罪に関して再度の有罪認定・刑宣告が行われたのである。このような事例はままある。二重問責という憲法問題を生じる筈であるのに、十分に対応できる議論は見当たらない。
 そして、無罪認定が得られた後の問題もある。多くの場合、冤罪被害者は生活手段を失っている。それにも拘らず、爾後の生活に関する支援制度は存在しない。刑事補償が得られても、それで済む問題ではない。真実の犯罪者に対しては刑務所から釈放された後の各種支援制度が一応存在するのに、犯罪者ではなかった冤罪被害者はこの制度の対象にならない。犯罪者ではなかったことが確認されたら、その後は自己責任に帰せられるのである。
 しかし、冤罪被害者の生活を再建することは、それを誤って破壊してしまった国の責任でなければおかしい。私人による支援が行われることを前提としても、国の制度がほぼ不存在であることに合理的理由はあり得ない。冤罪は刑罰制度の必然的リスクだから、雪冤後の対処が不十分なままでは刑事法体系として完結しない。刑事補償の金額すら、現在の金額が規定されてから約四半世紀に亘って放置されたままである。これらの点に関する議論が乏しいことも、被害者を失念していると評し得る。

[結]
 かつて昭和60年 (1985年) に「国連被害者人権宣言」が採択され、そこに掲げられていたのは「犯罪および権力濫用」の被害者である。しかし、日本では「権力濫用」の部分が無視されたままである。一般的犯罪の被害者についても、被害者自身の権利自体として保障するという発想が乏しく、警察・検察の権力に従属するものでしかない。
 現在の日本では、被害者が復権を遂げたとは絶対に言えない。依然として忘れられたままの被害者が現に存在する。この事実に対する認識が普及して十分に議論され、適切な支援策が講じられることを期待したい。