爆発物所持罪の起訴猶予および刑免除
愛知学院大学教授 (刑事法) 原田 保
[序]
中日新聞平29・1・11朝刊30面に、爆発物所持罪の不起訴処分が報じられ、刑事法研究者および公共政策研究者の各論評が掲載されていた。これに関して、論点看過や論点齟齬に陥ることのないよう、若干の解説を行う。刑事法に関する理解の深化に役立てば光栄である。
新聞記事によれば、爆発物所持罪発覚の経緯につき、検察官は自首に該当すると判断した由である。議論の余地はあるが、この点には立ち入らない。不起訴の理由は明記されていないが、起訴猶予だと推測される。以下、自首・起訴猶予を前提として述べる。
また、報道が発言の一部抜粋であることによって趣旨の正確な表現にならないこともある。この点を留保して、新聞記事に基づいて述べる。
[爆発物取締罰則]
本件で問題となった爆発物取締罰則 (明治17年太政官布告32号)、略して「爆取 (ばくとり)」は、大日本帝国憲法による帝国議会の発足に先立つ法令である。自由民権運動の一部が激化した爆弾テロ事件を契機に、当時の刑法(明治13年太政官布告36号、旧刑法)を補充する特別法として制定された。制定経緯は「70年闘争」の頃の火炎瓶処罰法と類似する。古いという理由だけで「時代遅れ」「現状不適合」と評するのは、予断・偏見でしかない。内容・趣旨を正確に理解して論じるべきである。
[総則の自首と各則の自首との相違]
爆取11条は、爆発物使用の予備陰謀を行った者が実行着手前に自首して危害に至らなかった場合の必要的刑免除を規定している。内乱予備罪等の暴動前自首に関する現行刑法 (明治40年法律45号) 80条も同様であり、同法42条が自首を裁量的刑減軽事由としていることと比べて優遇の程度が高い。刑法総則で全犯罪を対象として犯罪完遂・実害発生の後でも自首を優遇する理由は主として捜査の容易化に貢献する点にあり、爆取や刑法各則の予備段階自首に対する刑免除は予測される爾後の基本犯実行の防止を主目的とする。詳細は後述するが、減軽・免除という程度差の前に、趣旨の相違があることを看過してはならない。
[起訴猶予の当否]
本件における現行法運用上の問題は、必要的刑免除事由に該当する事案の処理方法である。自首した犯人は犯罪事実を争わないとしても、裁量的刑免除事案なら刑宣告か刑免除かが争点となり得るが、必要的刑免除事案では量刑も争点にならない。起訴して犯罪事実を立証しても、検察官の求刑意見や裁判所の量刑判断の余地はなく、判決は必ず刑免除である。そのような起訴は無駄だ、という見解もあり得る。
しかし、刑免除も有罪判決であり、所謂前科になる。刑免除の前科による不利益の程度は刑宣告の前科よりも著しく低いが、有罪者と認定して前科を付与すること自体に違いはない。つまり、爆取11条の要件が充足されているなら、有罪認定・刑免除を宣告して軽微な前科を付与することが、同条の趣旨である。逆に言えば、爆取11条の要件が充足されている場合に同条の効果を発生させない措置は、同条の趣旨に属さない。
本件起訴猶予は適用可能な爆取11条を敢えて不適用とする措置であり、これは刑事訴訟法248条に基づく検察官の訴追裁量権行使である。その際に、爆取11条は起訴した場合の効果として不起訴との比較衡量に供されるのであって、爆取11条が起訴猶予を導く訳ではない。
このように、本件起訴猶予の当否は、爆取11条に規定された自首による刑免除の趣旨ではなく、刑事訴訟法248条に規定された訴追裁量の趣旨に則しているか否か、という問題である。判断事項は訴追の要否、即ち刑宣告だけでなく刑免除も含めて、有罪判決を求める訴訟行為の要否である。必要的刑免除事案でも、「刑宣告があり得ないから無駄だ」という判断ではなく、「刑免除による軽微な前科の付与すら要らない」という判断が、刑事訴訟法248条に規定された犯人の性格や犯罪の軽重といった事件の具体的諸事情から合理的に導かれるか否か、という問題である。
駄文筆者は本件起訴猶予の具体的理由に関する情報を得ていないので確定的な評価を示すことができないが、事案毎の判断であるから、少なくとも建前としては、必要的刑免除事案の起訴猶予が常に直ちに是認される訳ではない。
[刑免除の当否]
これに対して、本件行為者を処罰するべきだという主張は、現行法上不可能な刑宣告の主張であり、爆取11条削除という法改正の主張であると認められる。故に、主張の相手方は国会であり、現行法に基づく検察官の措置への批判にはなり得ない。
この点を検討する際には、犯罪が或る程度遂行されると危険拡大・実害発生が現実的に危惧されることを前提としなければならない。警察官が現認すれば制止措置を講じる筈だが、未発覚なら危険拡大・実害発生の防止は専ら犯人自身の決意による犯行中止に期待する他ない。この状況を前提とすると、危険拡大・実害発生を防止するために国が執り得る唯一の措置は、犯行中止決意の動機付けとなり得る事柄を犯人に提示することである。
犯人は現段階で成立している罪の刑を受けるべき立場にあるが、例えば予備罪→未遂罪→既遂罪というように、次段階に進んだら現段階よりも重い罪・重い刑になる。これが次段階に進むことなく現段階で犯行中止を決意する動機付けとなることもある。しかし、既に犯罪を或る程度遂行した犯人には、少なくともその限度で刑の一般予防効果が発揮されなかったのであるから、未だ犯罪を全く行っていない人と同程度の一般予防効果は期待困難である。現段階の罪に対する刑を免れるために証拠隠滅等の目的で更なる罪を犯すこともある。故に、爾後のより重い刑による威嚇だけでは足らないことがままある。そして、危険拡大・実害発生が切迫すればするだけ一層、また、次段階犯罪が重大なものであればあるだけ一層、今すぐ止めてもらいたいという政策的要求は増大する。
このような事態への対応として、現段階で自発的に止めたら強制的に止めさせられた場合よりも優遇するという「飴」を提示する制度が追加される。次段階に進んだら現段階よりも重く罰するという「鞭」だけでは足らない場合に、犯行中止決意の動機付けを強化するべく、現段階で止めた場合と次段階に進んだ場合との差を拡大するのである。刑罰制度の中で提示できる「飴」は、現段階で成立している罪に対する刑の減免である。その際に、次段階犯罪の防止が現段階犯罪に対する刑の減免に値するか否か、という比較衡量が行われる。
現行刑法は、実害発生の危険が予備段階よりも切迫した実行段階での任意中止につき、43条但書に必要的刑減免を規定している。予備段階については、237条の強盗予備罪に刑減免規定はないが、201条の殺人予備罪には裁量的刑免除規定がある。強盗罪よりも殺人罪の方が重大だという判断に基づく立法である。爆取11条の必要的刑免除規定は、爆発物使用罪が更に重大であるが故の立法として、その後に制定された現行刑法との整合性も認め得る。爆発物を軽視した訳ではなく、逆に、極めて重大だと判断したからこそ、危害防止手段として規定したのである。
昭和39年法律124号の刑法改正は、身代金誘拐罪 (225条の2) を営利誘拐罪 (225条) から分離して重罰化すると共に、被害者解放による必要的刑減軽 (228条の2) も規定した。このような立法例を失念してはならない。明治時代よりも危険な物質が容易に製造できるようになったなら、それは製造所持罪や使用罪に明治時代よりも重い法定刑を規定する理由になり得る。しかし、爆発物の危険性を理由とする刑免除が危険性増大を理由として直ちに不適切になることは、論理的にあり得ない。予測される爾後の危害が更に深刻化したことから、危害防止手段たる「飴」の必要性が増大した、という結論を導くこともできる。
[結]
論評が適切でも不適切でも、現行法運用に関する論評と立法政策に関する論評とを並列対置すると、論点齟齬に陥って適切な議論ができなくなる虞がある。法を学んでいる者にとっては自明の区別だが、世間では解釈論と立法論との混同が珍しくない。留意を要するところである。
[序]
中日新聞平29・1・11朝刊30面に、爆発物所持罪の不起訴処分が報じられ、刑事法研究者および公共政策研究者の各論評が掲載されていた。これに関して、論点看過や論点齟齬に陥ることのないよう、若干の解説を行う。刑事法に関する理解の深化に役立てば光栄である。
新聞記事によれば、爆発物所持罪発覚の経緯につき、検察官は自首に該当すると判断した由である。議論の余地はあるが、この点には立ち入らない。不起訴の理由は明記されていないが、起訴猶予だと推測される。以下、自首・起訴猶予を前提として述べる。
また、報道が発言の一部抜粋であることによって趣旨の正確な表現にならないこともある。この点を留保して、新聞記事に基づいて述べる。
[爆発物取締罰則]
本件で問題となった爆発物取締罰則 (明治17年太政官布告32号)、略して「爆取 (ばくとり)」は、大日本帝国憲法による帝国議会の発足に先立つ法令である。自由民権運動の一部が激化した爆弾テロ事件を契機に、当時の刑法(明治13年太政官布告36号、旧刑法)を補充する特別法として制定された。制定経緯は「70年闘争」の頃の火炎瓶処罰法と類似する。古いという理由だけで「時代遅れ」「現状不適合」と評するのは、予断・偏見でしかない。内容・趣旨を正確に理解して論じるべきである。
[総則の自首と各則の自首との相違]
爆取11条は、爆発物使用の予備陰謀を行った者が実行着手前に自首して危害に至らなかった場合の必要的刑免除を規定している。内乱予備罪等の暴動前自首に関する現行刑法 (明治40年法律45号) 80条も同様であり、同法42条が自首を裁量的刑減軽事由としていることと比べて優遇の程度が高い。刑法総則で全犯罪を対象として犯罪完遂・実害発生の後でも自首を優遇する理由は主として捜査の容易化に貢献する点にあり、爆取や刑法各則の予備段階自首に対する刑免除は予測される爾後の基本犯実行の防止を主目的とする。詳細は後述するが、減軽・免除という程度差の前に、趣旨の相違があることを看過してはならない。
[起訴猶予の当否]
本件における現行法運用上の問題は、必要的刑免除事由に該当する事案の処理方法である。自首した犯人は犯罪事実を争わないとしても、裁量的刑免除事案なら刑宣告か刑免除かが争点となり得るが、必要的刑免除事案では量刑も争点にならない。起訴して犯罪事実を立証しても、検察官の求刑意見や裁判所の量刑判断の余地はなく、判決は必ず刑免除である。そのような起訴は無駄だ、という見解もあり得る。
しかし、刑免除も有罪判決であり、所謂前科になる。刑免除の前科による不利益の程度は刑宣告の前科よりも著しく低いが、有罪者と認定して前科を付与すること自体に違いはない。つまり、爆取11条の要件が充足されているなら、有罪認定・刑免除を宣告して軽微な前科を付与することが、同条の趣旨である。逆に言えば、爆取11条の要件が充足されている場合に同条の効果を発生させない措置は、同条の趣旨に属さない。
本件起訴猶予は適用可能な爆取11条を敢えて不適用とする措置であり、これは刑事訴訟法248条に基づく検察官の訴追裁量権行使である。その際に、爆取11条は起訴した場合の効果として不起訴との比較衡量に供されるのであって、爆取11条が起訴猶予を導く訳ではない。
このように、本件起訴猶予の当否は、爆取11条に規定された自首による刑免除の趣旨ではなく、刑事訴訟法248条に規定された訴追裁量の趣旨に則しているか否か、という問題である。判断事項は訴追の要否、即ち刑宣告だけでなく刑免除も含めて、有罪判決を求める訴訟行為の要否である。必要的刑免除事案でも、「刑宣告があり得ないから無駄だ」という判断ではなく、「刑免除による軽微な前科の付与すら要らない」という判断が、刑事訴訟法248条に規定された犯人の性格や犯罪の軽重といった事件の具体的諸事情から合理的に導かれるか否か、という問題である。
駄文筆者は本件起訴猶予の具体的理由に関する情報を得ていないので確定的な評価を示すことができないが、事案毎の判断であるから、少なくとも建前としては、必要的刑免除事案の起訴猶予が常に直ちに是認される訳ではない。
[刑免除の当否]
これに対して、本件行為者を処罰するべきだという主張は、現行法上不可能な刑宣告の主張であり、爆取11条削除という法改正の主張であると認められる。故に、主張の相手方は国会であり、現行法に基づく検察官の措置への批判にはなり得ない。
この点を検討する際には、犯罪が或る程度遂行されると危険拡大・実害発生が現実的に危惧されることを前提としなければならない。警察官が現認すれば制止措置を講じる筈だが、未発覚なら危険拡大・実害発生の防止は専ら犯人自身の決意による犯行中止に期待する他ない。この状況を前提とすると、危険拡大・実害発生を防止するために国が執り得る唯一の措置は、犯行中止決意の動機付けとなり得る事柄を犯人に提示することである。
犯人は現段階で成立している罪の刑を受けるべき立場にあるが、例えば予備罪→未遂罪→既遂罪というように、次段階に進んだら現段階よりも重い罪・重い刑になる。これが次段階に進むことなく現段階で犯行中止を決意する動機付けとなることもある。しかし、既に犯罪を或る程度遂行した犯人には、少なくともその限度で刑の一般予防効果が発揮されなかったのであるから、未だ犯罪を全く行っていない人と同程度の一般予防効果は期待困難である。現段階の罪に対する刑を免れるために証拠隠滅等の目的で更なる罪を犯すこともある。故に、爾後のより重い刑による威嚇だけでは足らないことがままある。そして、危険拡大・実害発生が切迫すればするだけ一層、また、次段階犯罪が重大なものであればあるだけ一層、今すぐ止めてもらいたいという政策的要求は増大する。
このような事態への対応として、現段階で自発的に止めたら強制的に止めさせられた場合よりも優遇するという「飴」を提示する制度が追加される。次段階に進んだら現段階よりも重く罰するという「鞭」だけでは足らない場合に、犯行中止決意の動機付けを強化するべく、現段階で止めた場合と次段階に進んだ場合との差を拡大するのである。刑罰制度の中で提示できる「飴」は、現段階で成立している罪に対する刑の減免である。その際に、次段階犯罪の防止が現段階犯罪に対する刑の減免に値するか否か、という比較衡量が行われる。
現行刑法は、実害発生の危険が予備段階よりも切迫した実行段階での任意中止につき、43条但書に必要的刑減免を規定している。予備段階については、237条の強盗予備罪に刑減免規定はないが、201条の殺人予備罪には裁量的刑免除規定がある。強盗罪よりも殺人罪の方が重大だという判断に基づく立法である。爆取11条の必要的刑免除規定は、爆発物使用罪が更に重大であるが故の立法として、その後に制定された現行刑法との整合性も認め得る。爆発物を軽視した訳ではなく、逆に、極めて重大だと判断したからこそ、危害防止手段として規定したのである。
昭和39年法律124号の刑法改正は、身代金誘拐罪 (225条の2) を営利誘拐罪 (225条) から分離して重罰化すると共に、被害者解放による必要的刑減軽 (228条の2) も規定した。このような立法例を失念してはならない。明治時代よりも危険な物質が容易に製造できるようになったなら、それは製造所持罪や使用罪に明治時代よりも重い法定刑を規定する理由になり得る。しかし、爆発物の危険性を理由とする刑免除が危険性増大を理由として直ちに不適切になることは、論理的にあり得ない。予測される爾後の危害が更に深刻化したことから、危害防止手段たる「飴」の必要性が増大した、という結論を導くこともできる。
[結]
論評が適切でも不適切でも、現行法運用に関する論評と立法政策に関する論評とを並列対置すると、論点齟齬に陥って適切な議論ができなくなる虞がある。法を学んでいる者にとっては自明の区別だが、世間では解釈論と立法論との混同が珍しくない。留意を要するところである。