判例を読まずに引用する誤謬
愛知学院大学教授 (刑事法) 原田 保
法律文献の中に、間違った判例引用の例がある。法律を学ぶ人々が間違った認識を抱くことのないように、間違いの一部を指摘する。個人攻撃の外見を避けるために、間違いを犯した文献を具体的に摘示することは止めておく。本学法学研究に書いた話だが、これに先立って本学修士論文に同様の指摘がある。
1 大二刑判大9・2・16刑録26輯2巻46頁は、「特別公務員による故意殺人」に関する判例ではない!
精神に異状を来して粗暴兇悪な行為を反復する被害者を、親族達が懲戒・行為阻止の意思で逮捕監禁した。その結果として生命に具体的危険が生じたが、親族達は死亡結果を認容しながら逮捕監禁状態を維持し、被害者は死亡した。これが本件事実関係である。罪名に関する判示は、殺意形成の前後に跨る行為全体を包括して殺人罪1罪であって逮捕監禁致死罪は成立しない、というものである。220条・221条の適用排除は説示しているが、194条・195条・196条の話は一言もない。行為者は私人だけで、警察官等の公務員は全く関係ないから、当たり前のことだ。なのに、この判例が特別公務員による故意殺人について殺人罪1罪の成立を認めて特別公務員職権濫用致死罪・特別公務員暴行陵虐致死罪の成立を否定した、と説明する文献がある。
誤謬の経緯は推測できる。殺人罪成立による逮捕監禁致死罪不成立という論理が同じく逮捕監禁を実行行為とする特別公務員職権濫用致死罪にもそのまま妥当する、と早合点した人がいた。これが196条全般の解釈だ、と勘違いした人がいた。そして、この判例がその旨を判示した、と想像した人がいた。判例集を読めば、そんな判旨ではないことがすぐ判る。
2 大一刑判昭14・3・29刑集18巻4号158頁は、「違法性の錯誤」に関する判例ではない!
繊維業者が戦時下の物資統制法令に違反して割当票によらず取引した行為に関する有罪判例である。この判例について、所轄官庁公式言明を信じて適法だと誤信した被告人に故意犯成立を肯定した、と説明する文献がある。
本件では、当該法令について商工省が発した回答の中に本件行為を適法評価できるような解釈の提示があり、これだけを読めば「公式言明を信じた違法性の錯誤だ」という錯誤もあり得る。しかし、判例集の本判決記載全部を読むと、次の事実が判る。
・商工省回答が出たのは行為の後である。
・被告人は行為に先立って未必的ながら違法性の意識を示す発言をしている。
・判決中に違法性の錯誤に関する叙述はない。
つまり、被告人は公式言明が未だ存在しない時点で違法性の意識を以て本件行為を遂行したのである。商工省回答を信じて適法だと誤信しながら行為に出たという事案ではない。裁判での争点は統制範囲という客観的構成要件該当性であり、被告人側は統制範囲外だという主張に際して行為後の商工省回答を援用したのであって、統制抵触・違法評価を前提とする故意阻却の主張もこれに対応する判示もない。判例集記載の判示事項も当該法令の統制範囲だけである。判例集は故意に関する主張・判示を省略したのか? 少なくとも判例集記載に依る限り、これが違法性の錯誤に関する判例だという理解は導き得ない。
公式言明を信じて適法だと誤信した行為に故意責任を問えないなら、権威ある文献を信じて正解だと誤信した答案を減点してはならないのか? 逆に、権威ある文献の間違いに気付いて正しい内容の答案を書くなら、確信犯に類似するものがあるが、間違いに気付いていない採点者による減点が危惧される。どうすればいいのか?
笑い事では済まない。こんな間違いを犯した人は、専門書執筆者としての責務に反する行為を非難されなければならない。判例をきちんと読むことなく最初に間違えた人は勿論有罪だが、その間違った記述を読んでそのまま自著に書いた人も同罪だ。想像を付加して間違いを拡大させた人は更に重罪だ。
引用する前にきちんと読め! 孫引きで誤魔化すんじゃない! 勝手な想像を書くな!
高名な権威者の誤謬を指摘する資格が、高名から程遠く権威もない駄文筆者にあるのか否か、疑念を覚えている。本駄文の当否を確認するためには時間を作って判例集を読むしかないが、そんな手間をかけることなく「偉い人の言説は絶対に正しい」と信じ続けることも各人の自由だ。でも、憂慮に堪えないので、適切な対応を期待しながら駄文を記す次第である。
(平30・2・22)
法律文献の中に、間違った判例引用の例がある。法律を学ぶ人々が間違った認識を抱くことのないように、間違いの一部を指摘する。個人攻撃の外見を避けるために、間違いを犯した文献を具体的に摘示することは止めておく。本学法学研究に書いた話だが、これに先立って本学修士論文に同様の指摘がある。
1 大二刑判大9・2・16刑録26輯2巻46頁は、「特別公務員による故意殺人」に関する判例ではない!
精神に異状を来して粗暴兇悪な行為を反復する被害者を、親族達が懲戒・行為阻止の意思で逮捕監禁した。その結果として生命に具体的危険が生じたが、親族達は死亡結果を認容しながら逮捕監禁状態を維持し、被害者は死亡した。これが本件事実関係である。罪名に関する判示は、殺意形成の前後に跨る行為全体を包括して殺人罪1罪であって逮捕監禁致死罪は成立しない、というものである。220条・221条の適用排除は説示しているが、194条・195条・196条の話は一言もない。行為者は私人だけで、警察官等の公務員は全く関係ないから、当たり前のことだ。なのに、この判例が特別公務員による故意殺人について殺人罪1罪の成立を認めて特別公務員職権濫用致死罪・特別公務員暴行陵虐致死罪の成立を否定した、と説明する文献がある。
誤謬の経緯は推測できる。殺人罪成立による逮捕監禁致死罪不成立という論理が同じく逮捕監禁を実行行為とする特別公務員職権濫用致死罪にもそのまま妥当する、と早合点した人がいた。これが196条全般の解釈だ、と勘違いした人がいた。そして、この判例がその旨を判示した、と想像した人がいた。判例集を読めば、そんな判旨ではないことがすぐ判る。
2 大一刑判昭14・3・29刑集18巻4号158頁は、「違法性の錯誤」に関する判例ではない!
繊維業者が戦時下の物資統制法令に違反して割当票によらず取引した行為に関する有罪判例である。この判例について、所轄官庁公式言明を信じて適法だと誤信した被告人に故意犯成立を肯定した、と説明する文献がある。
本件では、当該法令について商工省が発した回答の中に本件行為を適法評価できるような解釈の提示があり、これだけを読めば「公式言明を信じた違法性の錯誤だ」という錯誤もあり得る。しかし、判例集の本判決記載全部を読むと、次の事実が判る。
・商工省回答が出たのは行為の後である。
・被告人は行為に先立って未必的ながら違法性の意識を示す発言をしている。
・判決中に違法性の錯誤に関する叙述はない。
つまり、被告人は公式言明が未だ存在しない時点で違法性の意識を以て本件行為を遂行したのである。商工省回答を信じて適法だと誤信しながら行為に出たという事案ではない。裁判での争点は統制範囲という客観的構成要件該当性であり、被告人側は統制範囲外だという主張に際して行為後の商工省回答を援用したのであって、統制抵触・違法評価を前提とする故意阻却の主張もこれに対応する判示もない。判例集記載の判示事項も当該法令の統制範囲だけである。判例集は故意に関する主張・判示を省略したのか? 少なくとも判例集記載に依る限り、これが違法性の錯誤に関する判例だという理解は導き得ない。
公式言明を信じて適法だと誤信した行為に故意責任を問えないなら、権威ある文献を信じて正解だと誤信した答案を減点してはならないのか? 逆に、権威ある文献の間違いに気付いて正しい内容の答案を書くなら、確信犯に類似するものがあるが、間違いに気付いていない採点者による減点が危惧される。どうすればいいのか?
笑い事では済まない。こんな間違いを犯した人は、専門書執筆者としての責務に反する行為を非難されなければならない。判例をきちんと読むことなく最初に間違えた人は勿論有罪だが、その間違った記述を読んでそのまま自著に書いた人も同罪だ。想像を付加して間違いを拡大させた人は更に重罪だ。
引用する前にきちんと読め! 孫引きで誤魔化すんじゃない! 勝手な想像を書くな!
高名な権威者の誤謬を指摘する資格が、高名から程遠く権威もない駄文筆者にあるのか否か、疑念を覚えている。本駄文の当否を確認するためには時間を作って判例集を読むしかないが、そんな手間をかけることなく「偉い人の言説は絶対に正しい」と信じ続けることも各人の自由だ。でも、憂慮に堪えないので、適切な対応を期待しながら駄文を記す次第である。
(平30・2・22)