ながらスマホ自動車事故の量刑
愛知学院大学教授 (刑事法) 原田 保
中日新聞平30・3・20朝刊26面に、禁錮2年の求刑を超える禁錮2年8月の宣告という事例が報道され、刑事法研究者の肯定的見解も掲載されていた。駄文筆者は、「懲役ではなく禁錮」という点に賛同できないので、書いておく。
懲役は「自由剥奪+刑務作業」だが、禁錮は「自由剥奪だけ」である。禁錮受刑者の大多数は刑務作業に従事しているが、これは受刑者本人の意思に基づくものである。これが、刑務作業を受刑者本人の意思と無関係に刑の内容として義務付ける懲役との相違点であり、だから例えば懲役5年は禁錮10年より重いことになっている。報道された事例の禁錮2年8月は、懲役1年4月より軽いのである。
2種類の自由刑は、犯罪の動機により処遇方法を区別するべきだという判断に基づく。大多数の普通の犯罪は、私利私欲のために他人の権利を侵害する行為である。動機において破廉恥だと評価できる。これに対して、「世のため人のため」といった「崇高な動機」から敢えて現行法に逆らう確信犯には、そのような破廉恥な動機が存在しない。だから、確信犯には「非破廉恥罪」というラベルが貼られ、「破廉恥罪」たる大多数の普通の犯罪と一緒に扱うべきでない、と考えられた。確信犯も現行法上の罪を犯したのだから放置することはできないが、崇高な動機に鑑み敬意を以て接しなければならないから一般の犯罪者のように労働を強制するべきではない、という思考が導かれ、自由を剥奪するだけの刑に処することとされた。当時の文献を見ると、「名誉拘禁」とか「道義的に国と対等」とかいった記述もある。確信犯という言葉の意味について、しつこく、くどく、過去のブログに書いたが、「崇高な動機」の点が欠落すると確信犯の説明にならないことは、このような処遇方法選択からも理解される筈だ。
そして、過失犯も、他人の権利を侵害するという事実の認識がないことから、破廉恥な動機によるものではないと評価され、「非破廉恥罪」に分類された。現行刑法で、単純過失致死傷罪は罰金だけであり、業務上過失致死傷罪・重過失致死傷罪でも制定当初の自由刑は3年以下の禁錮だった。
自動車人身事故が業務上過失致死傷罪の大多数を占めるようになってから、上限を5年に引き上げると共に自由刑の刑種を懲役・禁錮の選択にする改正が行われた。「確信犯・過失犯には懲役を科さない」という原則に例外を設ける大改正だったが、その理由は禁錮に相応しくない悪質な事案への対応だった。例えば、無免許・飲酒・速度違反・信号無視の運転で人を死傷させた者に、「破廉恥な動機がない」とか「名誉」「敬意」とかいった言葉が凡そ妥当しないことは明白である。
だから、ながらスマホ事故に禁錮を選択することは、懲役・禁錮の選択を要求する規定の趣旨に反する。十分に注意していた心算だったが見落としがあった、という事案なら禁錮でよいとしても、ながらスマホ運転は注意のほぼ全面的な放棄である。その動機は、娯楽優先である。破廉恥罪に決まっている。禁錮に相当する犯罪ではない。検察官の求刑でも裁判所の判決でも、ながらスマホ運転の危険性・悪質性を強調した後に「禁錮」と言うと、厳しい非難の言葉が瞬時に説得力を失う。
駄文筆者は、平成29年5月の刑法学会でこの問題を提起した。でも、自動車人身事故の刑種選択は、道路交通法違反罪が付随していれば懲役だが、訴因が過失犯だけなら禁錮、という実務慣行に、異論を唱える人はいなかった。平成29年6月のブログにも書いたが、駄文筆者の問題提起は学会の主流から外れている。だから、この話もたぶん無視される。
でも、駄文筆者は、異論を提起し続ける。業務上過失致死傷罪でも自動車運転過失致死傷罪でも、過失犯1罪自体について懲役・禁錮の選択が予定されているのだから、他罪の有無を基準にする刑種選択は論理的に成立し得ない。現在の実務慣行は、理論的にも合理性を欠く。ながらスマホ自動車事故には、断固として、懲役選択を主張する。
駄文筆者は、かつてポケGOに関するブログを書いていた。配信開始直後に遊技者の問題行動を知って遠からず死傷事故が発生するとの危惧を書いたが、完成前に実例が発生してしまったので、中断した。そのとき書いていた話の一部を、本駄文に記しておく。これも、たぶん無視される。
このようなアプリにより注意放棄運転・死傷結果が生じることは、誰が考えても予見可能である。配信に際して、かかる事態を防止するための措置は全く講じられていない。許された危険を論じる場面ではない。だから、このようなアプリを原因とする事故の損害賠償請求では、運転者だけでなく、アプリを作って配信した業者も被告に加えるべきだ。深刻な被害を生じさせながら、その責任をアプリ使用者だけに負わせて自分は多大な金銭的利益を取得するという身勝手は、御天道様が許さない!
(平30・3・29)
中日新聞平30・3・20朝刊26面に、禁錮2年の求刑を超える禁錮2年8月の宣告という事例が報道され、刑事法研究者の肯定的見解も掲載されていた。駄文筆者は、「懲役ではなく禁錮」という点に賛同できないので、書いておく。
懲役は「自由剥奪+刑務作業」だが、禁錮は「自由剥奪だけ」である。禁錮受刑者の大多数は刑務作業に従事しているが、これは受刑者本人の意思に基づくものである。これが、刑務作業を受刑者本人の意思と無関係に刑の内容として義務付ける懲役との相違点であり、だから例えば懲役5年は禁錮10年より重いことになっている。報道された事例の禁錮2年8月は、懲役1年4月より軽いのである。
2種類の自由刑は、犯罪の動機により処遇方法を区別するべきだという判断に基づく。大多数の普通の犯罪は、私利私欲のために他人の権利を侵害する行為である。動機において破廉恥だと評価できる。これに対して、「世のため人のため」といった「崇高な動機」から敢えて現行法に逆らう確信犯には、そのような破廉恥な動機が存在しない。だから、確信犯には「非破廉恥罪」というラベルが貼られ、「破廉恥罪」たる大多数の普通の犯罪と一緒に扱うべきでない、と考えられた。確信犯も現行法上の罪を犯したのだから放置することはできないが、崇高な動機に鑑み敬意を以て接しなければならないから一般の犯罪者のように労働を強制するべきではない、という思考が導かれ、自由を剥奪するだけの刑に処することとされた。当時の文献を見ると、「名誉拘禁」とか「道義的に国と対等」とかいった記述もある。確信犯という言葉の意味について、しつこく、くどく、過去のブログに書いたが、「崇高な動機」の点が欠落すると確信犯の説明にならないことは、このような処遇方法選択からも理解される筈だ。
そして、過失犯も、他人の権利を侵害するという事実の認識がないことから、破廉恥な動機によるものではないと評価され、「非破廉恥罪」に分類された。現行刑法で、単純過失致死傷罪は罰金だけであり、業務上過失致死傷罪・重過失致死傷罪でも制定当初の自由刑は3年以下の禁錮だった。
自動車人身事故が業務上過失致死傷罪の大多数を占めるようになってから、上限を5年に引き上げると共に自由刑の刑種を懲役・禁錮の選択にする改正が行われた。「確信犯・過失犯には懲役を科さない」という原則に例外を設ける大改正だったが、その理由は禁錮に相応しくない悪質な事案への対応だった。例えば、無免許・飲酒・速度違反・信号無視の運転で人を死傷させた者に、「破廉恥な動機がない」とか「名誉」「敬意」とかいった言葉が凡そ妥当しないことは明白である。
だから、ながらスマホ事故に禁錮を選択することは、懲役・禁錮の選択を要求する規定の趣旨に反する。十分に注意していた心算だったが見落としがあった、という事案なら禁錮でよいとしても、ながらスマホ運転は注意のほぼ全面的な放棄である。その動機は、娯楽優先である。破廉恥罪に決まっている。禁錮に相当する犯罪ではない。検察官の求刑でも裁判所の判決でも、ながらスマホ運転の危険性・悪質性を強調した後に「禁錮」と言うと、厳しい非難の言葉が瞬時に説得力を失う。
駄文筆者は、平成29年5月の刑法学会でこの問題を提起した。でも、自動車人身事故の刑種選択は、道路交通法違反罪が付随していれば懲役だが、訴因が過失犯だけなら禁錮、という実務慣行に、異論を唱える人はいなかった。平成29年6月のブログにも書いたが、駄文筆者の問題提起は学会の主流から外れている。だから、この話もたぶん無視される。
でも、駄文筆者は、異論を提起し続ける。業務上過失致死傷罪でも自動車運転過失致死傷罪でも、過失犯1罪自体について懲役・禁錮の選択が予定されているのだから、他罪の有無を基準にする刑種選択は論理的に成立し得ない。現在の実務慣行は、理論的にも合理性を欠く。ながらスマホ自動車事故には、断固として、懲役選択を主張する。
駄文筆者は、かつてポケGOに関するブログを書いていた。配信開始直後に遊技者の問題行動を知って遠からず死傷事故が発生するとの危惧を書いたが、完成前に実例が発生してしまったので、中断した。そのとき書いていた話の一部を、本駄文に記しておく。これも、たぶん無視される。
このようなアプリにより注意放棄運転・死傷結果が生じることは、誰が考えても予見可能である。配信に際して、かかる事態を防止するための措置は全く講じられていない。許された危険を論じる場面ではない。だから、このようなアプリを原因とする事故の損害賠償請求では、運転者だけでなく、アプリを作って配信した業者も被告に加えるべきだ。深刻な被害を生じさせながら、その責任をアプリ使用者だけに負わせて自分は多大な金銭的利益を取得するという身勝手は、御天道様が許さない!
(平30・3・29)