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脳死の法的意義


                                       愛知学院大学教授 (刑事法) 原田 保

 臓器移植法 (正式表題は「臓器の移植に関する法律」) について質問を受けることがあるので、少し書いておく。

1 臓器移植法の脳死体取扱

 最初の論題は、「臓器移植法が脳死を死と認めたか否か」である。これは、臓器移植法の解釈であり、
   「死体 (脳死した者の身体を含む。以下同じ。)」
からの臓器摘出を許容する6条1項柱書に規定された「含む」という文言の意味如何という問題である。幾つかの法令で使用されている「含む」には2通りの意味があるのだが、そのことを知らないと思しき言説も存在する。以下、「含む」の意味を述べる。

 臓器移植法には、「含む」という文言を持つ規定が他にもある。それは、臓器移植法の規定に基づく厚生労働省令の制定改廃に際して当該省令に
   「経過措置 (罰則に関する経過措置を含む。)」
を定めることができると規定する18条、および、臓器移植法違反の罪につき
   「法人 (法人でない団体で代表者又は管理人の定めのあるものを含む。以下この項において同じ。)」
に対する両罰を規定する24条1項である。ここで、これらの「含む」の意味を確認しておく。

 まず、「罰則に関する経過措置」が「経過措置の一種」であることは明白だから、18条の「含む」は「罰則に関する経過措置を除外することなく経過措置全部」という「広義概念定義」である。罰則に関する経過措置については刑法6条および刑事訴訟法337条2号に一般的規定があるから、「経過措置」という文言が「罰則に関する経過措置を除外して罰則以外の経過措置だけ」に限定する狭義概念として使用される可能性もある。18条は、この点に関する疑義を防ぐために、同条の「経過措置」が広義概念であることを示す趣旨で「含む」という文言を使用したのである。
 これに対して、「法人」という文言をどれだけ広義に解しても、「法人でない団体」が「法人の一種」になることはあり得ない。だから、24条1項の「含む」を「広義概念定義」と解する余地はない。同条項は、法人でない団体の一部を法人と同じく両罰の対象にするものである。本当は法人でない団体を法律上は恰も法人であるかのように扱う「擬制」である。大抵は「みなす」という文言で規定される内容である。「みなす」という日本語は、世間一般では「判定する」「評価する」といった意味の使用例もあるが、法律用語としては「違うものを同じく扱う」という意味である。

 このように、18条の「含む」は明らかに「広義概念定義」であり、24条1項の「含む」は明らかに「擬制」である。そこで、脳死体からの臓器摘出許容に関する6条1項柱書の「含む」はどちらの意味なのか、という検討を要する。現に2種類の意味が同じ臓器移植法の中で規定されているのだから、即断できる問題ではない。

 検討のために、双方の解釈を試みる。「広義概念定義」と解するなら、「脳死体は本当に死体だから当然に死体の一種として許容する」という趣旨になり、脳死を死と認める見解に基づく命題になる。「擬制」と解するなら、「脳死体は本当は死体ではないが敢えて死体と同じく許容する」という趣旨になり、脳死を死と認めない見解に基づく命題になる。どちらの解釈も可能であり、18条や24条1項のように語義から一義的に「含む」の意味を特定することはできない。
 つまり、6条1項柱書は、「広義概念定義説=脳死肯定説」でも「擬制説=脳死否定説」でも説明可能な規定なのである。故に、どちらに解するかは、この規定と無関係に、「自分自身の判断として脳死を死と認めるか否か」によって決まる。規定自体は、どちらの説も受け入れ可能であり、脳死を死と認めるか否かを「決めていない」と解する他ない。

 この点について、臓器移植法制定に先立つ脳死臨調答申を看過してはならない。脳死を死と認めるか否かについては、統一見解形成に至らず、両論併記になった。それでも、脳死体からの移植目的臓器摘出については、脳死を死と認めない見解からも賛同が得られ、許容可能という合意に達した。
 こうして、「臓器摘出を脳死体からでも許容する」が「脳死を死と認めるか否かは決めない」という結論になった。脳死体からの臓器摘出を許容する6条1項柱書が脳死を死と認めるか否かを「決めていない」ことは、脳死臨調答申と符合するのである。

 「死体として扱う」ことは、必ずしも「本当に死体だと認める」ことを意味する訳ではない。「擬制」「みなす」は法学部1年次で学ぶ基本事項だが、周知されているとは認め難い。「含む」に「擬制」の意味があることを認識していなければ、「含む」を「広義概念定義」だと即断して「臓器移植法が脳死を死と認めた」と断言することも想定可能である。
 でも、「臓器移植の場面に限り」と言おうが言うまいが、これは誤解である。誤解は避けるべきであり、誤解を蔓延させることは有害である。少なくとも法を学ぶ人々には、正しく理解しておいて頂きたい。
(続きは後日)
(平30・7・13)