撒骨(散骨)に関する「法務省見解」の正体 [撒骨・その9・真相再確認]
愛知学院大学教授 (刑事法) 原田 保
駄文筆者は、口頭発表の機会を幾度か頂き、撒骨に関して「法務省見解」の名で流布された「節度があれば適法」という言説を批判した。葬送研究者の研究会や刑事法研究者・刑事法実務家の研究会を含めて、「法務省見解は実在する」「支持できる解釈だ」という反論はなかったので、異論の余地はないと確認できる。そこで、周知を目指して、くどいけど要点を摘示する。
① 公式にも非公式にも法務省見解は存在しない。
法務省見解が捏造であることの証明を列挙しておく。説明や出典は過去の論文およびブログに書いたので、省略する。
法務省の権限に属さないから、「公式」見解はあり得ない。
法務省内の合意がないから、非公式にも「法務省の」見解ではない。
現職法務官僚も「法務省見解表明の不存在」を明言している。
真実は「某法務官僚1人の個人的見解が法務省見解という偽名で流布された」のであり、これは専門研究者間で概ね共通認識になっている。真実が周知されず、「法務省が認めた」という虚偽に支配されているのが、日本の現状である。
② 判断基準にならない有害無益な言説である。
適法評価の前提として提示された「節度」は、何のことか判らない。場所や方法のことかもしれないし、撒布量のことかもしれない。服装や言動も「節度」という言葉に含め得る。余りにも多義的で漠然としているから、犯罪成否の基準にならない。法的には、全く役に立たない。
致命的欠陥は、「誰の判断なのか」が示されていないことである。法的常識としては「一般人」の筈であり、だから抽象的に一般論を言うなら「社会通念」である。「節度」では「社会」的視点が示されず、遺骨遺棄罪が社会法益犯罪であることと合致しない。凡そ法律家の発言とは思えない粗雑な言説である。
このように、「節度」では「自分だけの判断では不可」であることが示されないから、「自分の考える節度」による撒骨が各所で遂行されるようになった。他の人が「節度を弁えていない」と判断することは当然にあり得る。必然的に紛争が起こり、幾つかの自治体は条例で規制することにした。「節度」という言葉は、日本の葬送を混乱に陥れた元凶であり、有害無益の見本である。
③ 刑法学会では認められていない。
「節度ある撒骨は適法」という言説は、一つの考え方ではある。しかし、過去にそんなことを言った人はおらず、当該法務官僚1人の新説だった。現在でも、刑法学会に賛同者は見当たらない。大多数の教科書類は撒骨に全く言及していないが、遺骨遺棄罪成立の可能性を述べる教科書にも「節度」に対する批判はなく、適法説を述べる教科書にすら「節度」という言葉はない。
賛成も反対もなく、刑法解釈に際して引用・言及されることもない。要するに、凡そ「学説」扱いされておらず、刑法解釈論では完全に無視されているのだ。前記②で述べた通り犯罪成否基準にならない言説だから当然のことだが、そんな言説が撒骨推進団体や撒骨業者の世界では適法評価の定説的根拠になっている。実に奇妙な事態である。
④ 撒骨推進の確信犯だった。
当該法務官僚は、検事だから当然に、「節度ある撒骨は適法」という判例も学説も存在しないことを知っていた筈だ。当時の世論調査では賛成21.4%で反対56.7%だったから、撒骨反対の社会通念が存在していたと評価できる。公正かつ合理的に判断する限り、「問題ない」という適法評価断言はあり得ない。中立的第三者あるいは国家公務員としての発言ではなく、熱烈な撒骨推進論者であるが故の発言としか考えられない。
当該法務官僚は、不公正かつ不合理に適法評価を断言し、これに「法務省公式見解」という偽名を付して、報道機関に伝達した。散骨推進団体主宰者は、これに依拠して、「国の公認」という虚偽を喧伝し、撒骨反対の社会通念に「誤った固定観念」というラベルを貼り付けた。結果として、撒骨推進の効果が生じた。この結果を目指した意図的行為の嫌疑は払拭困難だ。この嫌疑を深める驚愕的情報もあり、その情報は駄文筆者周囲の研究者間で共有されているが、出典として引用できる文献に接しておらず、誰も書いていない。駄文筆者も断定的記述は避けている。
法的知識が十分でなければ、虚偽に気付かないまま「法務省」の権威に服従することはあり得る。しかし、自治体の広報や法律家の著作にも、更には撒骨反対論者の著作にも、「法務省見解の実在」を前提とする叙述の例がある。少し考えれば判る筈なのに、専門家ですら社会に浸透したデマに囚われている。「法務省」名義の冒用による「法務省見解」の捏造は、実に効率的に「適法評価偽装」を達成した。
ここまで浸透したなら、撒骨を風俗に適合する葬送と認める社会通念が既に形成されている、という評価もあり得る。しかし、駄文筆者は賛同できない。撒骨肯定意見が「国の公認」という錯誤に基づくなら、「法務省見解の不存在」という真実を知ると意見が変わるなら、如何に多数になっても法適用の前提たるべき社会通念ではない。むしろ、排斥されるべき迷妄である。
そして、真実を知ると意見が変わる実例が得られた。駄文筆者は、愛知学院大学教養科目「人間の尊厳と平等」平成30年6月21日授業の機会に、様々な学部に所属する受講生諸君に対して、「法務省見解の不存在」を説明する前にアンケートを取り、「法務省見解の不存在」を説明した後に課題論述を求めて、撒骨に関する意見の変化を調査した。学生諸君に感謝申し上げるところである。
「アンケート → 課題論述」の各意見人数変化は、次の通りである。アンケート不提出者2名、課題論述論旨不明者5名のため、矢印前後の数値合計は一致しない。
無条件許容 10名 → 2名
条件付き許容 32名 → 30名
全面禁止 5名 → 12名
予測を大幅に超える変化だった。課題論述には成績評価を意識した迎合の可能性があるから全面的に真意だと断定するべきではないとしても、真実を知ると許容意見が減って禁止意見が増える、という傾向は看取できる。この数値で直ちに日本住民全体を論じることはできないが、真実が多くの人々に周知されれば軽視し得ない変化が生じる筈だ。
故に、現在の日本で撒骨肯定意見が定着しつつあるとしても、それは虚偽情報によって形成された「虚構の社会通念」だから、一刻も早く消滅させなければならない。虚偽情報に汚染されたままでは、社会通念を論じることができない。四半世紀以上に亘って流布されてきた虚偽情報を今から除去することは容易ではないが、虚偽情報を除去して正しい情報の周知を図らなければ、法適用の前提たるに値する社会通念を形成することはできない。司法関係者が適切に社会通念を判断できる状況を確保しなければ、この国の法運用を適切なものにすることはできない。だから、繰り返して言う。
公式にも非公式にも撒骨に関する法務省見解は存在しない!
法務官僚の肩書を持つ撒骨推進論者の個人的見解だ!
この事実の周知が、まず必要なのである。駄文筆者の言説に納得された方々には、この情報を拡散させるよう、御配慮を頂ければ幸甚に思う次第である。
勿論、撒骨適法説の主張は自由である。でも、それは正しい情報に基づく正しい論理でなければならない。適法説でも違法説でも、主張・議論の前提として、正しい情報の周知が、まず必要である。前提条件の確立を、まず訴える次第である。
(平30・11・15)
駄文筆者は、口頭発表の機会を幾度か頂き、撒骨に関して「法務省見解」の名で流布された「節度があれば適法」という言説を批判した。葬送研究者の研究会や刑事法研究者・刑事法実務家の研究会を含めて、「法務省見解は実在する」「支持できる解釈だ」という反論はなかったので、異論の余地はないと確認できる。そこで、周知を目指して、くどいけど要点を摘示する。
① 公式にも非公式にも法務省見解は存在しない。
法務省見解が捏造であることの証明を列挙しておく。説明や出典は過去の論文およびブログに書いたので、省略する。
法務省の権限に属さないから、「公式」見解はあり得ない。
法務省内の合意がないから、非公式にも「法務省の」見解ではない。
現職法務官僚も「法務省見解表明の不存在」を明言している。
真実は「某法務官僚1人の個人的見解が法務省見解という偽名で流布された」のであり、これは専門研究者間で概ね共通認識になっている。真実が周知されず、「法務省が認めた」という虚偽に支配されているのが、日本の現状である。
② 判断基準にならない有害無益な言説である。
適法評価の前提として提示された「節度」は、何のことか判らない。場所や方法のことかもしれないし、撒布量のことかもしれない。服装や言動も「節度」という言葉に含め得る。余りにも多義的で漠然としているから、犯罪成否の基準にならない。法的には、全く役に立たない。
致命的欠陥は、「誰の判断なのか」が示されていないことである。法的常識としては「一般人」の筈であり、だから抽象的に一般論を言うなら「社会通念」である。「節度」では「社会」的視点が示されず、遺骨遺棄罪が社会法益犯罪であることと合致しない。凡そ法律家の発言とは思えない粗雑な言説である。
このように、「節度」では「自分だけの判断では不可」であることが示されないから、「自分の考える節度」による撒骨が各所で遂行されるようになった。他の人が「節度を弁えていない」と判断することは当然にあり得る。必然的に紛争が起こり、幾つかの自治体は条例で規制することにした。「節度」という言葉は、日本の葬送を混乱に陥れた元凶であり、有害無益の見本である。
③ 刑法学会では認められていない。
「節度ある撒骨は適法」という言説は、一つの考え方ではある。しかし、過去にそんなことを言った人はおらず、当該法務官僚1人の新説だった。現在でも、刑法学会に賛同者は見当たらない。大多数の教科書類は撒骨に全く言及していないが、遺骨遺棄罪成立の可能性を述べる教科書にも「節度」に対する批判はなく、適法説を述べる教科書にすら「節度」という言葉はない。
賛成も反対もなく、刑法解釈に際して引用・言及されることもない。要するに、凡そ「学説」扱いされておらず、刑法解釈論では完全に無視されているのだ。前記②で述べた通り犯罪成否基準にならない言説だから当然のことだが、そんな言説が撒骨推進団体や撒骨業者の世界では適法評価の定説的根拠になっている。実に奇妙な事態である。
④ 撒骨推進の確信犯だった。
当該法務官僚は、検事だから当然に、「節度ある撒骨は適法」という判例も学説も存在しないことを知っていた筈だ。当時の世論調査では賛成21.4%で反対56.7%だったから、撒骨反対の社会通念が存在していたと評価できる。公正かつ合理的に判断する限り、「問題ない」という適法評価断言はあり得ない。中立的第三者あるいは国家公務員としての発言ではなく、熱烈な撒骨推進論者であるが故の発言としか考えられない。
当該法務官僚は、不公正かつ不合理に適法評価を断言し、これに「法務省公式見解」という偽名を付して、報道機関に伝達した。散骨推進団体主宰者は、これに依拠して、「国の公認」という虚偽を喧伝し、撒骨反対の社会通念に「誤った固定観念」というラベルを貼り付けた。結果として、撒骨推進の効果が生じた。この結果を目指した意図的行為の嫌疑は払拭困難だ。この嫌疑を深める驚愕的情報もあり、その情報は駄文筆者周囲の研究者間で共有されているが、出典として引用できる文献に接しておらず、誰も書いていない。駄文筆者も断定的記述は避けている。
法的知識が十分でなければ、虚偽に気付かないまま「法務省」の権威に服従することはあり得る。しかし、自治体の広報や法律家の著作にも、更には撒骨反対論者の著作にも、「法務省見解の実在」を前提とする叙述の例がある。少し考えれば判る筈なのに、専門家ですら社会に浸透したデマに囚われている。「法務省」名義の冒用による「法務省見解」の捏造は、実に効率的に「適法評価偽装」を達成した。
ここまで浸透したなら、撒骨を風俗に適合する葬送と認める社会通念が既に形成されている、という評価もあり得る。しかし、駄文筆者は賛同できない。撒骨肯定意見が「国の公認」という錯誤に基づくなら、「法務省見解の不存在」という真実を知ると意見が変わるなら、如何に多数になっても法適用の前提たるべき社会通念ではない。むしろ、排斥されるべき迷妄である。
そして、真実を知ると意見が変わる実例が得られた。駄文筆者は、愛知学院大学教養科目「人間の尊厳と平等」平成30年6月21日授業の機会に、様々な学部に所属する受講生諸君に対して、「法務省見解の不存在」を説明する前にアンケートを取り、「法務省見解の不存在」を説明した後に課題論述を求めて、撒骨に関する意見の変化を調査した。学生諸君に感謝申し上げるところである。
「アンケート → 課題論述」の各意見人数変化は、次の通りである。アンケート不提出者2名、課題論述論旨不明者5名のため、矢印前後の数値合計は一致しない。
無条件許容 10名 → 2名
条件付き許容 32名 → 30名
全面禁止 5名 → 12名
予測を大幅に超える変化だった。課題論述には成績評価を意識した迎合の可能性があるから全面的に真意だと断定するべきではないとしても、真実を知ると許容意見が減って禁止意見が増える、という傾向は看取できる。この数値で直ちに日本住民全体を論じることはできないが、真実が多くの人々に周知されれば軽視し得ない変化が生じる筈だ。
故に、現在の日本で撒骨肯定意見が定着しつつあるとしても、それは虚偽情報によって形成された「虚構の社会通念」だから、一刻も早く消滅させなければならない。虚偽情報に汚染されたままでは、社会通念を論じることができない。四半世紀以上に亘って流布されてきた虚偽情報を今から除去することは容易ではないが、虚偽情報を除去して正しい情報の周知を図らなければ、法適用の前提たるに値する社会通念を形成することはできない。司法関係者が適切に社会通念を判断できる状況を確保しなければ、この国の法運用を適切なものにすることはできない。だから、繰り返して言う。
公式にも非公式にも撒骨に関する法務省見解は存在しない!
法務官僚の肩書を持つ撒骨推進論者の個人的見解だ!
この事実の周知が、まず必要なのである。駄文筆者の言説に納得された方々には、この情報を拡散させるよう、御配慮を頂ければ幸甚に思う次第である。
勿論、撒骨適法説の主張は自由である。でも、それは正しい情報に基づく正しい論理でなければならない。適法説でも違法説でも、主張・議論の前提として、正しい情報の周知が、まず必要である。前提条件の確立を、まず訴える次第である。
(平30・11・15)