インターネット情報の「玉」「石」
愛知学院大学教授 (刑事法) 原田 保
尾道警察官発砲事件論評の「玉」「石」が並んでいたので、少し書く。
佐久間哲「ニッポンリポート 法廷編 警察官射殺・尾道事件」(平13) は、検察官職務代行弁護士の「控訴趣意書」および「上告審答弁書」を引用している点で、「玉」と評し得る。
これらの書面は、判例集に登載されていない。原本は広島地方検察庁で保管されている筈だが、「尾道市民のいのちと人権を守る会」の事務局を務めていた山陽日日新聞社から会員等に配布するために印刷刊行された。当該記事筆者は印刷刊行版を参照したと推測される。
駄文筆者著作以外にも同事件判例研究は多数刊行されているが、専ら判例集に依拠する通例に従い、控訴趣意書・上告審答弁書は引用されていない。多数の法律家が無視した裁判資料を、当該記事筆者はわざわざ参照している。周到な情報収集に基づく記事は、肯定的評価に値する筈だ。
cab********さん「日本人は異常part4尾道特別公務員暴行陵虐致死事件」(平29) は、様々な不適切記述の故に、「石」と評する他ない。
まず事実関係からして誤謬が多々あるが、指摘は1点だけにする。被害者が持っていたナイフを「ペインティングナイフ」「パレットナイフ」と記載し、「絵描き青年が持っていたパレットナイフ」と表記したペインティングナイフの写真を掲載している。真実は、普通の果物ナイフである。
真実の事実関係は、判例を読めば判るし、前記佐久間記事にも記載されている。なのに、当該記事は、かかる情報源のアドレスを記載しながら、そこから得られる情報と齟齬している。理解不能である。
更に、同事件に関するインターネット情報が乏しいことを指摘して警察による情報統制を示唆している。現在の日本に情報統制があることは駄文筆者も否定しないが、同事件については新聞や法律関係雑誌等に膨大な情報が存在する。当該記事筆者は、かかる出版物を完全に無視している。インターネットが情報の全てだ、という迷信を危惧せざるを得ない。
加えて、当該記事は「知恵袋」に掲載されているところ、これに対する「ベストアンサー」は共謀罪批判を内容とする論点齟齬の言説であり、当該記事が裁判内容の理解を欠いている旨の指摘は「ベストアンサー以外」である。これを見る限り、「ベストアンサー」の選定も信頼できない。
出版物は出版社による選別を経ている。出版可否の判断が常に適切だという保証はないが、信頼に値する出版社なら読者が「石」に接する確率は低い。これに対して、インターネットでは選別なく誰でも発信できる。だから、印刷物よりも多くの「石」が含まれており、選別は全面的に閲覧者の自己責任である。インターネット情報の危険性は、この点にある。
認識形成の際には最初に接した情報の影響が大きく、その情報が「石」だと気付かないと頭の中が汚染される。真偽・適否の判断に必要な予備知識の不足を自覚しない人は珍しくない。「気に入る」「気に入らない」という感想を直ちに「真」「偽」の判断に変換してしまう人もいる。実に恐ろしいことだ。
「初学者はインターネット情報を見るな」と指導する大学教員は、駄文筆者以外にも実在する。近頃は小学生にもインターネット検索を行わせるようだが、十分な情報選別指導がなければ有害である。虚偽情報・不適切情報による汚染の防止は、教育職の責務である筈だ。
(令2・3・2)
尾道警察官発砲事件論評の「玉」「石」が並んでいたので、少し書く。
佐久間哲「ニッポンリポート 法廷編 警察官射殺・尾道事件」(平13) は、検察官職務代行弁護士の「控訴趣意書」および「上告審答弁書」を引用している点で、「玉」と評し得る。
これらの書面は、判例集に登載されていない。原本は広島地方検察庁で保管されている筈だが、「尾道市民のいのちと人権を守る会」の事務局を務めていた山陽日日新聞社から会員等に配布するために印刷刊行された。当該記事筆者は印刷刊行版を参照したと推測される。
駄文筆者著作以外にも同事件判例研究は多数刊行されているが、専ら判例集に依拠する通例に従い、控訴趣意書・上告審答弁書は引用されていない。多数の法律家が無視した裁判資料を、当該記事筆者はわざわざ参照している。周到な情報収集に基づく記事は、肯定的評価に値する筈だ。
cab********さん「日本人は異常part4尾道特別公務員暴行陵虐致死事件」(平29) は、様々な不適切記述の故に、「石」と評する他ない。
まず事実関係からして誤謬が多々あるが、指摘は1点だけにする。被害者が持っていたナイフを「ペインティングナイフ」「パレットナイフ」と記載し、「絵描き青年が持っていたパレットナイフ」と表記したペインティングナイフの写真を掲載している。真実は、普通の果物ナイフである。
真実の事実関係は、判例を読めば判るし、前記佐久間記事にも記載されている。なのに、当該記事は、かかる情報源のアドレスを記載しながら、そこから得られる情報と齟齬している。理解不能である。
更に、同事件に関するインターネット情報が乏しいことを指摘して警察による情報統制を示唆している。現在の日本に情報統制があることは駄文筆者も否定しないが、同事件については新聞や法律関係雑誌等に膨大な情報が存在する。当該記事筆者は、かかる出版物を完全に無視している。インターネットが情報の全てだ、という迷信を危惧せざるを得ない。
加えて、当該記事は「知恵袋」に掲載されているところ、これに対する「ベストアンサー」は共謀罪批判を内容とする論点齟齬の言説であり、当該記事が裁判内容の理解を欠いている旨の指摘は「ベストアンサー以外」である。これを見る限り、「ベストアンサー」の選定も信頼できない。
出版物は出版社による選別を経ている。出版可否の判断が常に適切だという保証はないが、信頼に値する出版社なら読者が「石」に接する確率は低い。これに対して、インターネットでは選別なく誰でも発信できる。だから、印刷物よりも多くの「石」が含まれており、選別は全面的に閲覧者の自己責任である。インターネット情報の危険性は、この点にある。
認識形成の際には最初に接した情報の影響が大きく、その情報が「石」だと気付かないと頭の中が汚染される。真偽・適否の判断に必要な予備知識の不足を自覚しない人は珍しくない。「気に入る」「気に入らない」という感想を直ちに「真」「偽」の判断に変換してしまう人もいる。実に恐ろしいことだ。
「初学者はインターネット情報を見るな」と指導する大学教員は、駄文筆者以外にも実在する。近頃は小学生にもインターネット検索を行わせるようだが、十分な情報選別指導がなければ有害である。虚偽情報・不適切情報による汚染の防止は、教育職の責務である筈だ。
(令2・3・2)