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「境界」について


愛知学院大学法務支援センター教授 田中 淳子
 「境界」という言葉は、聞く側の関心事によって、いろいろな場面を想像することができる。善と悪、正と邪、生と死、男と女、国と国・・・何かと何かをスパッと峻別し、それぞれを特定したり、際立たせたりする場合に用いられるからである。しかし、じつは、それほど、切れ味の良いものではないことをお伝えしたい。私の専門である民法にも「境界」ということがいくつか登場する。それは、民法典の第二編「物権法」の第三章「所有権」、第一款 「所有権の内容及び範囲」、第一節「所有権の限界」というところに規定がある。この点から、民法典における「境界」は、所有権の内容と範囲の限界ということになる。つまり、境界は、「所有権の内容と範囲」を画定することに重要な意義があることが理解できる。所有権者は、所有権の境界内であれば、所有権を自由に使用・収益・処分(民法206条)できるはずたから、敷地内いっぱいに建物を建てることができるわけではない。境界線から50㎝以上の距離を保たなければならない(民法234条)。他方で、ガーデニング好きなお隣さんの庭木が元気よく塀を乗り越えてきても勝手に切除できない(民法233条)。土地の所有権を侵害しているイライラするが、まずは、相手に「切っていただけますでしょうか」とお願いしなければならない。境界線からこっちは私の所有地だから、1mmたりともの勝手な利用は許さない、と実力行使ができるものではない。実は、境界線はどんなに細い鉛筆で線を引いても、「幅」(線の太さ)がある。境界標も土地の所有者は、勝手に境界標を設置できないし、隣地の所有者と共同の費用で、境界標を設けることができる(民224条)が、これは、共有となり、しかも分割ができない。つまり、こっちとあっちをスパッと切り分けられない。
 国土は一つ。連続した土地をあくまで人為的に画し、登記簿に所有名義を登記しているだけで、現実の土地(不動産)の利用については、動産のように完全に切り分け、他と峻別した客体として自由にその所有権を行使できない。このような物理的な特性を有した土地(不動産)について、民法の相隣法制では、土地の利用について調整し譲り合いながら利用しなければならいという、互譲義務が課せられている。相隣関係は、負担も不満も多少は我慢しあう、いわば互い様の関係を前提としている。
 近年、社会問題となっている所有者(の所在)不明土地の問題でも、「境界」が問題となる。土地を処分したい場合には、隣地所有者に立会を求め、筆界(不動産登記法123条1号)について確認する必要がある。しかし、隣地の所有者が、所有者の所在が分からないと立会の手続きが進まない。そこで、民法の物権法・不動産登記の改正や特別法の改正により、その手続きが軽減される予定である。
 本センターの「無料法律相談所 愛学リーガル・クリニック」にも多くの境界・相隣紛争について相談が寄せられる。お隣さんとのお付き合いについて、境界の物理的・法律的な特性を理解し、「互譲の精神」に少しだけ配慮することで、結果、紛争自体を回避し、良好な関係が育まれるのでは・・・・と信じている。しかし、それでも何か法的なトラブルが起きた場合には、ぜひ、本センターへご相談下さい!
(AGULS第48号(2021/7/25)掲載 )