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「別府大仏」研究一応終了報告


愛知学院大学法務支援センター客員教授・弁護士 原田 保
 本学宗教法制研究所紀要62号に「別府大仏における人骨等の取扱」を掲載させて頂き、令和4年1月に刊行された。研究は一応の終了だが、未だ「完成」とは評し難い。以下、未解決問題の一部について述べる。可能なら調査を継続したいと考えている。

1 石塔内における瓦礫の有無
 別府大仏跡地に建立された「別府大仏体内之諸霊位」石塔内に人骨等の混入された別府大仏瓦礫の一部が収蔵されているか否かは、人骨等取扱の法的評価に関わる事情であるが、勝手に開けて見る訳にはいかず、未確認である。どちらにしても人骨等の取扱は全面的に適法との結論を得たが、石塔内の瓦礫の有無は説明方法に関わる。論文では止むを得ず双方の場合を述べたが、駄文筆者としては研究を遂げたと認めていない。

2 宝持寺本尊
 宝持寺本尊は、当初は観世音菩薩であったが、別府大仏建立時に釈迦如来が追加され、現行宗教法人法施行時には阿弥陀如来に変更されている。当初の本尊であった観世音菩薩の木像は、移転先で供養する旨の約定が交わされているが、所在不明である。別府大仏は釈迦如来であるから本尊追加は理解できるが、阿弥陀如来に変更された経緯は不明である。別府大仏は阿弥陀如来である旨の不可解情報と関係あるのか否かを含めて、不明のままである。

3 敷地・堂宇
 別府大仏建立者が別府大仏管理寺院として宝持寺を誘致したが、移転先敷地は別人の所有地であった。寄附を約定しながら寄附されなかった土地もあり、当初約定になかった土地の寄附もある。経緯不明である。
 堂宇も、当初計画の本堂は建築されないままであり、写真撮影された寺院外見の建物は1棟だけである。別府市刊行物には山門等の建築・寄附という記述があるが、図面も写真も見当たらないから、確認できない。
 建物を記載した住宅地図の刊行は昭和29年からであるが、これを見ると、寺院堂宇の記載はない。別府大仏の周囲には多数個人名を記載した長屋があるが、登記はなく、建築時期も所有者も判らない。創建当初の境内図があれば情報が増えるが、接し得ておらず、疑問のままである。

4 『大仏山縁起録』著者
 昭和3年の別府大仏落慶時に刊行された『大仏山縁起録』は、別府大仏に関する主要資料であるが、著者が如何なる人物であるのか判らない。同書には「渡邉友一」と記載されているが、該当人物の情報は見当たらない。しかも、同書奥付の著者住所は虚偽である。「別府市大仏山1522番地」と記載されているが、別府市に「大仏山」という地名は存在しない。別府大仏建立地は「字境1522番地」であるから、その地番に架空の地名を付したと判断できる。こうなると、著者名が実名か否かも怪しい。
 なお、同書には「阿弥陀仏」の記載があり、別府大仏が阿弥陀如来である旨の不可解情報の原因になった可能性が想定できる。この記載の趣旨も判らない。

 さしあたり、この程度にしておく。最後に、寺院、官公庁、図書館の関係各位および同僚教授から頂いた御助力に、改めて感謝申し上げる。
(令4・3・14)