グローバルナビゲーションへ

本文へ

ローカルナビゲーションへ

フッターへ



TOP >  ブログ >  2022年度 >  撒骨(散骨)推進派官僚の権限濫用・責務懈怠 [撒骨・その14]

撒骨(散骨)推進派官僚の権限濫用・責務懈怠 [撒骨・その14]


愛知学院大学名誉教授・弁護士 原田保

 撒骨・その13に続けて、撒骨推進派官僚に対する批判を書く。

 厚生労働省設置法・墓地埋葬法に基づき、埋葬・火葬・改葬・墓地・納骨堂は同省所轄事務である。撒骨は、これらの法律に規定されていないから、法律が同省に付与した権限に属さない。故に、撒骨に対する行政規制は権限逸脱である。名称に「墓地埋葬」を掲げる懇談会・研究会で墓地を使用せず埋葬しない撒骨を論じることも、同様である。
 尤も、厚生労働省が葬送全般を職権関連事項として検討することを禁止する理由は見出し難い。しかし、そのような検討を行うなら現に遂行例のある法律外葬法の全部を対象とするべきであり、他の葬法を放置して撒骨だけを取り扱うことの適否には多大な疑問がある。撒骨の特別扱いに合理的理由がないなら、恣意であり、権限濫用である。
 また、責務懈怠もある。厚生労働省は、墓地埋葬法所轄官庁として同法解釈上の疑義に対処する責務を有しており、現に重大な疑義が存在するのに、これを放置している。その疑義は、「葬る」の意義である。
 墓地埋葬法は、「葬る」という文言を使用しながら、その定義を規定していない。そのため、「葬る」とは如何なる行為か、という解釈論が必要になる。この点については、法令が「葬」の文字を付して規定する方法だけが法律上の「葬る」であるという解釈もあり得る。このように解するなら、法律外葬法は悉く「葬る」ではないことになり、死体損壊罪等の構成要件該当行為であるという評価も可能になる。
 しかし、これは極度の形式論であり、実定法に適法評価の認識根拠がなくても実質的違法性の有無は検討可能である。そこで、適法性に疑義のない今日通例の葬法の要素のうち、法的な「葬る」概念に必須のものはどれか、という検討を行うべきこととなる。
 要素の列挙は幾度も述べたので省略するが、撒骨に関して最優先で検討するべき課題は、死体・骨に対する保存措置の要否である。撒骨による礼拝対象滅失に悲嘆する人は、現に存在する。更に、撒布された骨が飛散・流散して誰かに接近・接触する可能性があり、これを嫌忌する人も、現に存在する。この状態に関する公衆感情の如何が論点であるが、かかる感情を抱く人々に受忍義務を課す社会通念の存在は、未だ論証されていない。
 「葬る」の意義は、現に存在する解釈問題であり、撒骨の前提問題である。例えば、詐欺罪を無視した「霊感商法ガイドライン」や恐喝罪を無視した「みかじめ料ガイドライン」に賛同する人は想像し難い。遺骨遺棄罪を無視した「散骨ガイドライン」も、同様の前提問題無視である。
 また、伝統的葬法でも、葬送の権利・義務の帰属に関する法令の明文規定がなく、紛争が現に生じている。墓地埋葬法の運用に関わる重大問題であるが、対処の動向は見受けられない。責務に属する喫緊の問題を放置したまま権限外の撒骨を推進することは、暴走と評する他ない。

 以上の通り、厚生労働官僚が、刑法を無視し、責務を怠って権限外の行為に邁進しようとしている。駄文筆者の言説は説得力・社会的影響力を持たないので、とけだけ批判しても阻止できない。人々がデマから解放されて自ら検討することはなく、問題は無視されたまま、撒骨の実定法化が行われると予測できる。法律が制定されれば、如何に不合理な内容でも、違憲判決が宣告されない限り国としての法的評価は確定することになる。駄文筆者の言説は、記憶されることもなく埋もれ去る。非力を恥じつつ、それでも駄文筆者は蟷螂の斧を振り回す。
(令5・3・14)