撒骨(散骨)推進派官僚の刑法無視 [撒骨・その13]
愛知学院大学名誉教授・弁護士 原田保
撒骨については、平成3年に1人の法務官僚が暴走して適法評価偽装が行われ、多くの人々が「適法だと決まった」と誤信して「検討不要」という思考停止状態に陥った。現在は厚生労働官僚が組織的に撒骨推進に向かって暴走している。駄文筆者は、AGU法学研究63巻1・2号75頁で批判したが、依然として深刻な危惧を覚えているので、更に書く次第である。
撒骨を明示する法令は存在しないが、刑法190条の「遺骨を遺棄した」は撒骨に適用可能な文言である。故に、同条の罪の成否は撒骨に関して現に存在する問題であるが、判例も行政解釈も存在せず、刑法学説も極度に乏しい。つまり、国の有権的解釈も学会の通説も存在しない未解決問題である。しかし、この事実を認識する人は少数派でしかなく、法律家の中にすら「解決済み」と公言する人がいる。元凶は前記法務官僚の発言だが、現在の厚生労働官僚はこれを没論理的に追認して刑法を無視した撒骨推進を目指している。
厚生省所轄平成10年度懇談会報告には、節度ある撒骨は処罰不可と解されている旨の叙述がある。見解主体の表示を欠く「解されている」という受動態は、確固たる判例・通説に使用される表現である。しかし、この見解は、前記法務官僚の発言と同旨であり、撒骨業界の定説であるが、同旨の判例・学説は存在しない。懇談会参加者が判例・学説の状況を、知らなかったなら驚愕するべき調査懈怠であり、知っていたなら戦慄するべき虚偽流布である。どちらであるのか、駄文筆者は未だ情報を得ていない。
厚生労働省所轄令和2年度研究会報告には、「法制度の考え方」と題する叙述がある。内容は遺骨遺棄罪等の保護法益および違法性阻却に関する一般論であり、その後に前記懇談会報告を引用しているだけで、撒骨に関する法的検討は全く存在しない。表題に適合する叙述ではなく、論点認識に欠落があると判断せざるを得ない。
前記の懇談会・研究会に、刑法研究者は参加していない。刑法研究者不在の場で、刑法研究者が誰1人として論じていない刑法解釈が、恰も唯一絶対の刑法解釈であるかのように扱われているのである。駄文筆者の知る範囲で撒骨適法説の刑法文献は3点あるが、2点は理由説明がなく、1点は社会的受容を理由としており、どれにも「節度」という文言はない。懇談会・検討会の報告では、撒骨に関する刑法文献の引用が全くなく、適法説すら引用されていない。調査研究を遂行したとは、凡そ認められない。
令和2年度研究会では、刑法解釈問題の存在を指摘した人もいたが、完全に無視されたまま「散骨ガイドライン」が作成された由である。同研究会代表者は主に保険年金を担当していた元厚生労働官僚だが、この人の論文は、撒骨の法的評価が墓地埋葬法に関する厚生労働省通知の解釈に尽きる旨を述べ、刑法に全く言及していない。また、著名な葬送研究者による研究会で刑法と墓地埋葬法との関係も報告されたが、案内を受けた現職厚生労働官僚は「必要性を認めない」との理由で出席を拒絶した由である。
かかる事実に鑑みれば、葬送に関して刑法解釈問題は存在せず刑法研究者は不要である、という共通認識が窺われる。しかし、もしも撒骨に関して遺骨遺棄罪での告発があったら検察官は同罪成否を判断しなければならず、検察官が起訴したらその判断が裁判所の任務になる。刑法は関係ないという認識は、この事実を無視している。刑法研究者の発言が乏しいことも現状の一因だが、知識を持たない人の権力行使には恐怖を覚える。
(令5・2・23)
撒骨については、平成3年に1人の法務官僚が暴走して適法評価偽装が行われ、多くの人々が「適法だと決まった」と誤信して「検討不要」という思考停止状態に陥った。現在は厚生労働官僚が組織的に撒骨推進に向かって暴走している。駄文筆者は、AGU法学研究63巻1・2号75頁で批判したが、依然として深刻な危惧を覚えているので、更に書く次第である。
撒骨を明示する法令は存在しないが、刑法190条の「遺骨を遺棄した」は撒骨に適用可能な文言である。故に、同条の罪の成否は撒骨に関して現に存在する問題であるが、判例も行政解釈も存在せず、刑法学説も極度に乏しい。つまり、国の有権的解釈も学会の通説も存在しない未解決問題である。しかし、この事実を認識する人は少数派でしかなく、法律家の中にすら「解決済み」と公言する人がいる。元凶は前記法務官僚の発言だが、現在の厚生労働官僚はこれを没論理的に追認して刑法を無視した撒骨推進を目指している。
厚生省所轄平成10年度懇談会報告には、節度ある撒骨は処罰不可と解されている旨の叙述がある。見解主体の表示を欠く「解されている」という受動態は、確固たる判例・通説に使用される表現である。しかし、この見解は、前記法務官僚の発言と同旨であり、撒骨業界の定説であるが、同旨の判例・学説は存在しない。懇談会参加者が判例・学説の状況を、知らなかったなら驚愕するべき調査懈怠であり、知っていたなら戦慄するべき虚偽流布である。どちらであるのか、駄文筆者は未だ情報を得ていない。
厚生労働省所轄令和2年度研究会報告には、「法制度の考え方」と題する叙述がある。内容は遺骨遺棄罪等の保護法益および違法性阻却に関する一般論であり、その後に前記懇談会報告を引用しているだけで、撒骨に関する法的検討は全く存在しない。表題に適合する叙述ではなく、論点認識に欠落があると判断せざるを得ない。
前記の懇談会・研究会に、刑法研究者は参加していない。刑法研究者不在の場で、刑法研究者が誰1人として論じていない刑法解釈が、恰も唯一絶対の刑法解釈であるかのように扱われているのである。駄文筆者の知る範囲で撒骨適法説の刑法文献は3点あるが、2点は理由説明がなく、1点は社会的受容を理由としており、どれにも「節度」という文言はない。懇談会・検討会の報告では、撒骨に関する刑法文献の引用が全くなく、適法説すら引用されていない。調査研究を遂行したとは、凡そ認められない。
令和2年度研究会では、刑法解釈問題の存在を指摘した人もいたが、完全に無視されたまま「散骨ガイドライン」が作成された由である。同研究会代表者は主に保険年金を担当していた元厚生労働官僚だが、この人の論文は、撒骨の法的評価が墓地埋葬法に関する厚生労働省通知の解釈に尽きる旨を述べ、刑法に全く言及していない。また、著名な葬送研究者による研究会で刑法と墓地埋葬法との関係も報告されたが、案内を受けた現職厚生労働官僚は「必要性を認めない」との理由で出席を拒絶した由である。
かかる事実に鑑みれば、葬送に関して刑法解釈問題は存在せず刑法研究者は不要である、という共通認識が窺われる。しかし、もしも撒骨に関して遺骨遺棄罪での告発があったら検察官は同罪成否を判断しなければならず、検察官が起訴したらその判断が裁判所の任務になる。刑法は関係ないという認識は、この事実を無視している。刑法研究者の発言が乏しいことも現状の一因だが、知識を持たない人の権力行使には恐怖を覚える。
(令5・2・23)