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TOP >  ブログ >  2022年度 >  不知・誤解の多い事柄 [その3]

不知・誤解の多い事柄 [その3]


愛知学院大学名誉教授・弁護士 原田 保
AGULS第42号①~④、同第51号⑤~⑦の続きです。

⑧「〇〇家累代之墓」は、明治中期に始まった。
 庶民の墓が普及するようになったのは江戸時代からですが、大多数は1人ずつの墓でした。今日の累代墓は、明治初期に創設された家制度を前提として明治20年代から普及した方法であって、日本古来の伝統ではありません。だから、累代墓の被葬者は、明治以降に死亡した人です。もしも江戸時代以前の人が入っていたら、それは後の改葬です。もっと昔の先祖の被葬場所を知っている人は、滅多にいません。自分の曾祖父母8人の名を全部知っている人も、滅多にいません。「累代」と言っても、この程度のことです。
⑨日本人の氏の大多数は、明治初期に初めて付された。
 氏・姓・苗字は、もともと異なる概念ですが、この話は措きます。江戸時代以前に氏や苗字を持っていたのは、公家・武家、一部の豪商・豪農、といった特権階級だけで、人口の5%程度だったそうです。
 明治初期に戸籍の単位として家制度が創設され、家の名称たる氏を持つことが、皇室以外の日本人全員に要求されました。いきなり言われて困った人も多く、居住地名や昔の領主の氏を使ったり、村の庄屋や寺の住職に付けてもらったり、といった例が少なくなかったそうです。自分の氏の由来を江戸時代以前に求めることのできる人は、少数派なのです。
⑩昔は、日本でも法廷写真撮影が許されていた。
 開廷中の様子は写真に替えて絵で示すのが、日本の報道の現状です。しかし、昭和初期の新聞を見ると、開廷中の法廷全景写真や供述者の正面全身写真は幾つもあります。第二次世界大戦直後の新聞でも、撮影者が裁判官席の背後に立って、傍聴人および供述中の被告人を正面から撮影した写真が掲載されています。裁判官の後頭部も写っています。
 ところが、その後に、供述中の証人が眼前にカメラを突き付けられたため萎縮して供述できなくなったとか、裁判関係者の机上にある書類が撮影されそうになって身体で覆ったとか、審理妨害となる問題行動があり、裁判長が制止しても「報道の自由」を振りかざして応じない撮影者もいたそうです。このような経緯があって、全面的撮影禁止になったのです。
(AGULS第67号(2023/2/25)掲載)