故・阿波弘夫弁護士の業績
愛知学院大学名誉教授・弁護士 原田 保
故・阿波弘夫弁護士の業績
広島弁護士会所属弁護士・阿波弘夫先生が、令和4年7月13日に死去された。駄文筆者は御連絡を頂いて甚大な衝撃を受けたが、ここで記すのは、個人的感情ではなく、阿波先生の業績に関する客観的事実である。その内容は、要職歴任とか住民運動主導とかいった華やかな話ではなく、適正な裁判の実現である。法律家として、最も基本的な責務の遂行である。
阿波先生が実現された適正な裁判は多数あるが、ここでは1件だけを記す。それは、阿波先生の業績であることが認識困難な、最一小決平11・2・17刑集53巻2号64頁の尾道警察官発砲事件である。告訴→不起訴処分→準起訴請求→準起訴決定→第一審無罪→控訴審有罪→上告棄却、という経緯で特別公務員暴行陵虐致死罪成立が確定したところ、再審開始決定よりも遙かに困難な準起訴決定も、警察官の違法発砲に関する唯一の故意犯成立認定も、阿波先生の御尽力によって実現された。また、本判例は、学説対立のあった警察官の防護目的武器使用に係る違法性阻却について、刑法36条・正当防衛の直接適用ではなく、刑法35条・法令行為であって刑法36条は警察官職務執行法7条所定要件の一部としての間接適用である旨を判示して、論争に決着を付けた。解釈論の点でも、重要判例である。
事件発生から裁判確定まで、約20年間に亘り、阿波先生は一貫して本件処理に従事された。しかし、判例集に阿波先生の名は記されていない。準起訴請求審では、準起訴請求代理人の1人として阿波先生の名が記されているが、その記録は判例集に登載されていない。被告事件では、阿波先生は検察官職務代行の指定を受けておられなかったので、阿波先生の名は記されていない。だから、判例集を読んでも、阿波先生が本件に関与されたことは判らない。
阿波先生は、本件において、検察官職務指定弁護士のなすべき職務を事実上遂行された。当然に無報酬である。その内容は多岐に亘り、全部を記す余裕はない。形あるものを記すと、訴追側の控訴趣意書および上告審答弁書である。指定弁護士3人の連名になっているが、列挙された3人のうち1人目・2人目は1文字も書いていない。真実の作成者は、列挙された3人のうち最後に挙がっている1人と匿名の法律家2人との3人であり、その匿名の法律家の1人が阿波先生である。3人目の指定弁護士が就任したのは第一審無罪判決の後であり、この弁護士の真摯な訴訟活動によって控訴審での逆転有罪が実現されたが、この弁護士の追加指定に尽力されたのも阿波先生である。
法律家以外の献身的ヴォランティアも不可欠の役割を担ったが、この点は過去に日弁連機関誌で紹介したので省略する。以上、粗雑ながら、阿波先生がこの重要判例に関して検察官職務指定弁護士の3人目と並ぶ大功労者であるという事実を、ここに記す。判例集に記されていないから、阿波先生の業績であるという事実は、知っている者が記しておかないと、埋もれてしまう。だから、僭越であるが、本件処理を間近で観察する機会を頂いた駄文筆者が、知っている者の1人として、記す次第である。
なお、本駄文に述べた準起訴請求審記録ならびに控訴趣意書および上告審答弁書は、山陽日日新聞社から印刷刊行された。記録保管庁は広島地方検察庁であるが、もしも原本が廃棄されても、印刷刊行版によって内容を知ることは可能である。
(令5・4・12)
故・阿波弘夫弁護士の業績
広島弁護士会所属弁護士・阿波弘夫先生が、令和4年7月13日に死去された。駄文筆者は御連絡を頂いて甚大な衝撃を受けたが、ここで記すのは、個人的感情ではなく、阿波先生の業績に関する客観的事実である。その内容は、要職歴任とか住民運動主導とかいった華やかな話ではなく、適正な裁判の実現である。法律家として、最も基本的な責務の遂行である。
阿波先生が実現された適正な裁判は多数あるが、ここでは1件だけを記す。それは、阿波先生の業績であることが認識困難な、最一小決平11・2・17刑集53巻2号64頁の尾道警察官発砲事件である。告訴→不起訴処分→準起訴請求→準起訴決定→第一審無罪→控訴審有罪→上告棄却、という経緯で特別公務員暴行陵虐致死罪成立が確定したところ、再審開始決定よりも遙かに困難な準起訴決定も、警察官の違法発砲に関する唯一の故意犯成立認定も、阿波先生の御尽力によって実現された。また、本判例は、学説対立のあった警察官の防護目的武器使用に係る違法性阻却について、刑法36条・正当防衛の直接適用ではなく、刑法35条・法令行為であって刑法36条は警察官職務執行法7条所定要件の一部としての間接適用である旨を判示して、論争に決着を付けた。解釈論の点でも、重要判例である。
事件発生から裁判確定まで、約20年間に亘り、阿波先生は一貫して本件処理に従事された。しかし、判例集に阿波先生の名は記されていない。準起訴請求審では、準起訴請求代理人の1人として阿波先生の名が記されているが、その記録は判例集に登載されていない。被告事件では、阿波先生は検察官職務代行の指定を受けておられなかったので、阿波先生の名は記されていない。だから、判例集を読んでも、阿波先生が本件に関与されたことは判らない。
阿波先生は、本件において、検察官職務指定弁護士のなすべき職務を事実上遂行された。当然に無報酬である。その内容は多岐に亘り、全部を記す余裕はない。形あるものを記すと、訴追側の控訴趣意書および上告審答弁書である。指定弁護士3人の連名になっているが、列挙された3人のうち1人目・2人目は1文字も書いていない。真実の作成者は、列挙された3人のうち最後に挙がっている1人と匿名の法律家2人との3人であり、その匿名の法律家の1人が阿波先生である。3人目の指定弁護士が就任したのは第一審無罪判決の後であり、この弁護士の真摯な訴訟活動によって控訴審での逆転有罪が実現されたが、この弁護士の追加指定に尽力されたのも阿波先生である。
法律家以外の献身的ヴォランティアも不可欠の役割を担ったが、この点は過去に日弁連機関誌で紹介したので省略する。以上、粗雑ながら、阿波先生がこの重要判例に関して検察官職務指定弁護士の3人目と並ぶ大功労者であるという事実を、ここに記す。判例集に記されていないから、阿波先生の業績であるという事実は、知っている者が記しておかないと、埋もれてしまう。だから、僭越であるが、本件処理を間近で観察する機会を頂いた駄文筆者が、知っている者の1人として、記す次第である。
なお、本駄文に述べた準起訴請求審記録ならびに控訴趣意書および上告審答弁書は、山陽日日新聞社から印刷刊行された。記録保管庁は広島地方検察庁であるが、もしも原本が廃棄されても、印刷刊行版によって内容を知ることは可能である。
(令5・4・12)