栃木県女子高校生死体事件寸評(その2)
愛知学院大学 名誉教授・弁護士 原田 保
令和5年10月に立件された不同意性交罪・殺人罪・死体遺棄罪につき、被告人も弁護人も犯罪成否を全く争うことなく情状酌量の主張に留まり、宇都宮地判令6・10・18は全部有罪認定・懲役24年を宣告した。駄文筆者は、本件で死体遺棄罪は成立しないと解するので、令和5年12月25日ブログ(ブログ集vol.7(令6)26頁)に続けて問題点を指摘する。
本件死体遺棄罪の実行行為は「放置した」と表記されており、訴因は不作為犯であると認められる。不作為犯なら作為義務を論じるべきところ、この点に関する情報が見当たらず、作為義務の内容も根拠も不明である。故に、論理的可能性を探求する他ない。
被告人は被害者の親族ではないから、葬送義務はあり得ない。非親族に不作為死体遺棄罪の成立を認めた判例としては加江田塾ミイラ事件に関する福岡高宮崎支判平14・12・19があるところ、同判例が認定した作為義務は遺族への死体引渡義務であり、当該義務の根拠は被告人が被害者生存中に保護責任者であったことに基づく条理である。本件では被害者死亡前の保護義務を認めるべき事情が存在しないので、同判例に依拠することはできず、別の事情を掲げなければならない。なお、死体引渡義務は死体に対する遺族の所有権からも導き得るが、この点には論及しない。
被告人は被害者を殺害したが、この事情から死体引渡義務を認めると殺人犯人は常に死体引渡義務を負うことになる。しかし、過去にそのような法適用の例は見当たらなずす、適用例の不存在はそのような作為義務を認める条理の不存在を証明するものである。また、被告人は死体を自動車に乗せて走行中であったが、これも死体引渡義務の根拠たる条理を導く事情であるとは認め難い。更に、本件では死体不申告罪が成立するところ、この状況で不作為死体遺棄罪が成立するなら、死体不申告罪は常に不作為死体遺棄罪を伴うという不合理な結論になる。
そして、死体引渡義務を肯定するとしても、遺族の住所が判らなければ引渡は不可能である。加江田塾ミイラ事件の被告人は病児の親との連絡方法を有していたが、本件被告人が被害者宅の所在地や連絡方法を知っていたことを推認させる情報は見当たらず、作為可能性の立証があったとは認め難い。
以上の通り、本件の不作為死体遺棄罪については、作為義務も作為可能性も証明されていない。故に、同罪の成立は、到底認められない。
更に、かかる実体法の問題が放置されたことから、手続法の問題も生じる。弁護活動は被告人の意向等の各種事情を考慮するべきであるから、弁護人が論理的に可能な反論を行わなかったことを直ちに過誤と断言できる訳ではない。しかし、裁判所の有罪判決は、「犯罪の証明があったとき」であって、「被告人側が争わなかったとき」ではない。作為義務・作為可能性の論証がなければ不作為犯は認定できず、「犯罪の証明があったとき」に該当しない。被告人側の反論がなければ検察官の主張を証明なく認容する裁判を当事者主義の結論として是認することには、到底賛同できない。
本件第一審判決に対して被告人側は控訴を申し立てたが、控訴趣意に関する情報は見当たらない。量刑不当の主張は想定できるが、この点だけに終始するなら、論理的欠落の問題を解決しないままの有罪認定が維持されることになる。これは実に遺憾な事態であるが、駄文筆者には如何ともし難い。
(令6・11・30)
令和5年10月に立件された不同意性交罪・殺人罪・死体遺棄罪につき、被告人も弁護人も犯罪成否を全く争うことなく情状酌量の主張に留まり、宇都宮地判令6・10・18は全部有罪認定・懲役24年を宣告した。駄文筆者は、本件で死体遺棄罪は成立しないと解するので、令和5年12月25日ブログ(ブログ集vol.7(令6)26頁)に続けて問題点を指摘する。
本件死体遺棄罪の実行行為は「放置した」と表記されており、訴因は不作為犯であると認められる。不作為犯なら作為義務を論じるべきところ、この点に関する情報が見当たらず、作為義務の内容も根拠も不明である。故に、論理的可能性を探求する他ない。
被告人は被害者の親族ではないから、葬送義務はあり得ない。非親族に不作為死体遺棄罪の成立を認めた判例としては加江田塾ミイラ事件に関する福岡高宮崎支判平14・12・19があるところ、同判例が認定した作為義務は遺族への死体引渡義務であり、当該義務の根拠は被告人が被害者生存中に保護責任者であったことに基づく条理である。本件では被害者死亡前の保護義務を認めるべき事情が存在しないので、同判例に依拠することはできず、別の事情を掲げなければならない。なお、死体引渡義務は死体に対する遺族の所有権からも導き得るが、この点には論及しない。
被告人は被害者を殺害したが、この事情から死体引渡義務を認めると殺人犯人は常に死体引渡義務を負うことになる。しかし、過去にそのような法適用の例は見当たらなずす、適用例の不存在はそのような作為義務を認める条理の不存在を証明するものである。また、被告人は死体を自動車に乗せて走行中であったが、これも死体引渡義務の根拠たる条理を導く事情であるとは認め難い。更に、本件では死体不申告罪が成立するところ、この状況で不作為死体遺棄罪が成立するなら、死体不申告罪は常に不作為死体遺棄罪を伴うという不合理な結論になる。
そして、死体引渡義務を肯定するとしても、遺族の住所が判らなければ引渡は不可能である。加江田塾ミイラ事件の被告人は病児の親との連絡方法を有していたが、本件被告人が被害者宅の所在地や連絡方法を知っていたことを推認させる情報は見当たらず、作為可能性の立証があったとは認め難い。
以上の通り、本件の不作為死体遺棄罪については、作為義務も作為可能性も証明されていない。故に、同罪の成立は、到底認められない。
更に、かかる実体法の問題が放置されたことから、手続法の問題も生じる。弁護活動は被告人の意向等の各種事情を考慮するべきであるから、弁護人が論理的に可能な反論を行わなかったことを直ちに過誤と断言できる訳ではない。しかし、裁判所の有罪判決は、「犯罪の証明があったとき」であって、「被告人側が争わなかったとき」ではない。作為義務・作為可能性の論証がなければ不作為犯は認定できず、「犯罪の証明があったとき」に該当しない。被告人側の反論がなければ検察官の主張を証明なく認容する裁判を当事者主義の結論として是認することには、到底賛同できない。
本件第一審判決に対して被告人側は控訴を申し立てたが、控訴趣意に関する情報は見当たらない。量刑不当の主張は想定できるが、この点だけに終始するなら、論理的欠落の問題を解決しないままの有罪認定が維持されることになる。これは実に遺憾な事態であるが、駄文筆者には如何ともし難い。
(令6・11・30)