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監視カメラ


愛知学院大学名誉教授・弁護士 原田保

 個人住宅、公共施設、街路、等々、様々な場所にカメラが設置され、撮影・録画されています。「監視」という言葉を避けて「防犯カメラ」と呼ぶ例も珍しくありません。
カメラ設置後にその場所での犯罪発生件数が減ったなら、「防犯」の機能を発揮していると認められますが、そのような統計調査があるのか否か、私は情報を得ていません。犯罪発生件数減少が確認できなくても、つかまりそうになると悪いことを止める、という行動様式は一般的に認められていますから、カメラ設置によって犯罪を思い留まる効果を期待することには、合理的理由があります。これは、刑罰の犯罪抑止効果という刑事法学の古典的議論と同様です。
犯罪の未然予防とは別に、既に発生した犯罪の捜査について、これらのカメラに記録された情報は重要な証拠になります。ところが、この点について、法的問題が少なからず存在します。
写真撮影については個人の肖像権等の問題があり、本人の同意なく警察官が撮影して刑事事件の証拠にするためには、幾つかの条件を満たさなければなりません。この点を説明すると長くなるので避けますが、監視カメラ・防犯カメラはこの条件を満たしていません。しかし、監視カメラ・防犯カメラは、警察官による撮影ではなく、犯罪捜査としての撮影ではありませな。だから、違法収集証拠という問題にはなりません。
しかし、異論もあります。記録された情報が捜査に使用されることが常態化しているなら、民間人の行為を利用する事実上の捜査としての撮影・録画に他ならない、という主張です。
幹線道路に設置されているNシステムについても、同様の批判があります。道路交通管理目的の撮影ですが、逃走車輛探索等の捜査にも使用されていることは公知の事実です。常時撮影して警察が必要に応じて使用するのですから、捜査開始要件である犯罪の嫌嫌が未発生の時点で無令状の強制捜査を行うものだという批判が、Nステム導入当初かありました。
私自身はこのような批判に直ちに同調する意思を持っていませんが、批判的見解があることは周知を要すると思います。
なお、批判への反論をして、「やましいことがなければ構わない筈だ」と主張されることがありますが、この反論は適切と認め難いものです。肖像権等の人権は、やましいか否かと無関係です。全ての人々を常時監視していれば、犯罪発生件数が減少するかもしれません。犯罪減少自体は望ましいとしても、そのよう監視社会が理想的社会なのかどうか、慎重に考える必要があります。

(AGULS95号(2025/06/25)掲載)