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加江田塾ミイラ事件判例研究補足


愛知学院大学名誉教授・弁護士 原田保

 本判決については愛知学院大学宗教法制研究所紀要60号(令2)49頁で論じたが、これに対して頂いた御批判への対応を含めて、作為義務および義務違反に対する評価方法について補足する。作為死体遺棄罪という方法については論じない。

 本判決は非親族に不作為死体遺棄罪の成立を認めた初の判例であり、栃木女子高生死体事件判決までは唯一の判例であったところ、作為義務の内容は親族への死体引渡義務および引渡までの死体監護義務である。親族なら葬送に先立つ監護も義務付け得るが、非親族には別の根拠を要し、本判決が認定した義務の根拠は病児生存中に保護責任を負っていたことに基づく条理である。死体に対する親族の所有権から引渡義務を導く論理は採用されていないが、この点については、後述する。
 死体監護引渡義務は親族に対して負う義務であり、この義務を履行しない不作為は親族の個人法益に対する侵害である。然るに、個人法益侵害は死体遺棄罪という社会法益犯罪の成立根拠になり得ない。駄文飛車のこの主張に対して、宗教法41号(令4)100頁~101頁註34において、松尾誠紀北海道大学教授から御批判を頂いた。その内容は、建造物所有者から委託された管理義務者が焼損の危険を故意に放置すれば不作為放火罪の責を負うのであるから、法益主体の相違は不作為死体遺棄罪の成立を否定する根拠にならない、というものである。
 貴重な御指摘であるが、私見として賛同し難い。それは、法益侵害の経緯および違法評価の対象が両罪間で異なるからである。
 不作為放火罪の場合は、焼損の危険を放置する管理義務懈怠が焼損の危険の維持・増大になる。即ち、管理義務懈怠は直ちに焼損による社会法益侵害を生じさせて違法評価を受ける。他の人物の介在はなく、違法評価の対象は管理義務者自身の管理義務懈怠である。故に、監理義務懈怠者が不作為放火罪の責を負うのは当然である。
 これに対して、不作為死体遺棄罪の場合は、死亡後・葬送開始前に不葬送という事態が存在しているが、その時点で直ちに犯罪が成立する訳ではない。葬送は葬送義務者が遂行するべきものであるから、葬送義務者の故意不作為があって初めて犯罪になり、それは葬送義務者の不作為に基づく社会法益侵害として違法評価を受ける。即ち、死体引渡義務者が当該義務を履行していない時点では、社会法益侵害として違法評価を受けるべき葬送義務者の故意不作為が存在しない。死体不引渡の時点で存在するのは、葬送義務者に対する個人法益侵害だけである。故に、死体引渡義務の懈怠を以て直ちに社会法益犯罪たる不作為死体遺棄罪の成立を認めることは、明白な論理飛躍である。
 最後に、死体監護引渡義務の根拠について述べておく。本判決が援用した保護責任に関わる要扶助者遺棄罪については、純粋な個人法益犯罪と解するのが通説であるが、個人法益犯罪であると共に風俗犯罪・社会法益犯罪の性質もあると解する見解が存在する。この見解を前提にするなら、保護責任に係る義務の相手方に社会も含まれることになるから、社会に対して負っていた保護責任を根拠として発生した死体監護引渡義務も社会に対して負っていると解することが可能になる。死体に対する親族の所有権を根拠とする引渡義務は、社会法益との関連を持ち得ないい。本判決がこのように解したのか否かを論じるに足る情報は見当たらないが、要扶助者遺棄罪に関する社会法益肯定説が法益主体の相違という問題を回避する論理になり得ることを指摘しておく。
(令8・2・23)