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撒骨(散骨)に関する「節度」の虚構 [撒骨・その18]


愛知学院大学名誉教授・弁護士 原田保

 平成3年に、撒骨は「節度を以て行われる限り問題ない」と某法務官僚が述べ、撒骨業者はこれを援用している。しかし、葬送に関して最も業績のある法学研究者からは、「法務省官僚見解のずさんな法解釈」という批判が提起されており、駄文筆者も「節度」は法的評価基準にならないと解している。以下、その理由を説明する。なお、当該法務官僚発言が発言者の私見であって法務省という国家機関の見解ではないことは、何度も述べたところであり、ここでは反復しない。
 まず、何に関する節度なのか判らない。参加人数のことか、服装・言動のことか、撒布の量・場所・方法のことか、その他の事柄か、これらを全部包括するのか、全く示されていない。これでは、撒骨実施者が如何なる事柄に留意するべきかも、実施された撒骨が節度内であったのか否かも、確たる判断を行うことができない。
 また、誰の判断による節度であるのかも示されていない。前記法務官僚は後に「社会通念」という言葉を使用しており、そうであるなら国としての統一基準であるが、撒骨実施者が事前に知ることはできない。撒骨実施者は自分の考える節度で判断する他なく、判断主体が示されなければ各自の判断による節度だと理解する可能性もある。そのような判断は人によって異なり得るから、節度内と判断して実施した撒骨を他の人が節度外だと判断する可能性が排除されない。現に、前記法務官僚発言報道の後に多数の業者が各々独自の撒骨を実施して各地で紛争が起こり、規制条例制定の契機になった。この事実は、「節度」が適切妥当な撒骨の基準として機能しなかったという事実の明白な証明である。
 そして、節度云云が遺骨遺棄罪成否という刑法解釈の基準として提示されたという事実を軽視してはならない。「節度」は、前述したように、確実な判断が保証されない曖昧な概念である。かかる基準による犯罪成立認定は、罪刑法定主義違反という批判を回避し難い。
 更に、法務官僚発言の「問題ない」という断言には、極めて重大な問題がある。遺骨遺棄罪は、人々の感情を保護する社会法益犯罪である。かかる感情に関する判断が裁判所の専権事項たる法解釈に属するとしても、現に日本社会で生活している人々が実際に抱くい感情に反するなら、その判断は結論の妥当性を欠くことになる。当該法務官僚発言の時点で、撒骨否定意見が56.7%という世論調査結果が公表されていた。過半数の人々が否定する方法を「問題ない」断言することは、社会の実態に反しており、社会法益犯罪の解釈としては誤謬と評価されるべきである。
 平成10年には、厚生省所轄懇談会から、節度ある散骨は処罰不可と解されている旨の報告が公表された。前記法務官僚発言と同旨であるから前記問題を引き継ぐ内容であることに加えて、「解されている」という表現によって別の問題を生じさせている。
 このような見解主体を示さない受動態は、殆ど異論のない確固たる判例・通説に使用される表現である。故に、この報告は、前記法務官僚発言の内容が殆ど異論のない確固たる判例・通説であるかのような外見を作出するものである。しかし、実際には初めて提示された新説であり、現在でも同旨の判例・学説は存在しない。撒骨適法説ですら、「節度」という言葉は使用していない。つまり、実在しない虚構の解釈論なのである。これを刑法研究者が誰一人参加していない懇談会が、恰も唯一絶対の刑法解釈であるかのように報告したのである。かかる報告は、人々を欺罔する有害無益な言説と評する他ない。
 以上の通り、「節度」を掲げる言説は、刑法解釈と評価できない。
(令8・4・12)