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万引事後強盗事件


「万引事後強盗事件」余談
                                             法科大学院教授 原田保
 
 約四半世紀前、身分犯の共犯に関して言及される大阪高判昭62・7・17判時1253号141頁=判タ654号200頁を初めて読んだとき、私は疑問を抱いた。
 疑問の1つは、第一審の量刑である。当時の強盗致傷罪法定刑下限7年から減軽した3年6月。二重執行猶予中の3犯目という悪質な事案で、どうしてこんなに軽くしたのか。もう1つの疑問は、控訴理由である。法律上これより軽くなり得ない下限の宣告刑に対して量刑不当による控訴とは、意味が判らない。共犯者との併合審理になっていない理由も不明だが、主張の相違等による被告事件分離公判か、共犯者は20歳未満で少年審判になったのか、特定はできないが合理的理由の存在は推測できる。しかし、量刑に関する第一審の判断および弁護人の控訴理由については、合理的理解の方法が見当たらない。
本件評釈を読んでも疑問解決に繋がる記述には出会えず、当時の私の研究課題ではなかったので調査することもなく、疑問を放置したまま年月が経過した。ところが、刑総百選6版の出版に際して、たまたまこの判例が私に割り当てられた。事後強盗罪の構造や刑法65条の趣旨は、既存の知識だけで書ける。しかし、判例研究を行うなら判例としての意義も述べなければならず、上訴審判例であるから原裁判および上訴理由の内容も知っておく必要がある。この点については上訴審裁判中の引用記述で判ることが多いが、本件では、第一審判決は判例集不登載で控訴審判決中に第一審の量刑理由は引用されておらず、前記のように控訴理由の内容に疑義がある。そうすると、確定記録を閲覧する他ない。記録を読めば私の長年の疑問が解決できるかもしれない。という次第で神戸地検に確定記録の閲覧・謄写を申請したが、許可されたのは閲覧だけであった。仕方なく手書きで書き写したが、読んで疑問の相当部分が解決した。
刑総百選6版の拙稿に書いたように、共犯者の1人は被告人の内妻で、被告人勾留中に婚姻届提出、第一審判決直後に出産、逆算すると犯行当時妊娠中、という事実が判った(因みに、原稿提出後に編集部から「どの文献にもその旨の記述がない」との疑問提示を受けたので、原稿の内容を点検していることが判った。)。第一審判決では、酌量減軽の理由中に、出産間近との事情も掲げられている。軽い量刑は生まれてくる子のためだったと推測できる。
量刑不当の控訴については、控訴審判決の「これ以下の量刑はあり得ないから、原判決の右量刑が重すぎるとは到底いえない」との説示から、宣告刑を更に軽くせよという不可能な要求を推測していたが、そうではなかった。控訴趣意書に宣告刑批判はなく、書かれているのは第一審未決算入日数増加の要望だけである。控訴審判決は前記説示に続けて「所論は未決勾留日数の算入の点についても言及するが」と述べてこの点も妥当であると説示しているが、「も」ではない。弁護人は未決算入のことしか言っていない。弁護人が主張していないことに言及して唯一の主張に「も」を付する控訴審判決の記述は、控訴趣意書の内容に関する誤解を生じさせる点で不適切である。
減軽までして頂きながら厚かましいことは判っているが哀れな望蜀の心情に御高配下さい、という控訴趣意書の記述(註:原文通りではない。)には、1日でも早く母子のもとに父を帰らせてあげたいとの願望が滲んでいる。求刑を法定刑下限に留めた検察官も、そこから更に酌量減軽を施した第一審裁判所も、おそらく同じことを考えていたのだろう。このような量刑判断の適否については議論の余地もあるだろうが、それは量刑論を研究課題としている人々に委ねることとし、本稿では論及しない。いずれにしても、本件は量刑に関する問題を含む判例でもあると言える。
尤も、本件に関して百選で解説するべき刑法解釈論上の意義を有するのは共犯者の罪責に関する説示だけである。控訴審判決の解釈提示は「所論に鑑み」ですらなく純粋に職権に基づく説示であるから控訴理由とは無関係であり、「共犯と身分」という表題の下で量刑に関する第一審の判断や弁護人の控訴理由に言及する必要はない。それは最初から判っている。本件での記録閲覧は、判例研究としての一般的必要性の範囲内であるとしても、百選の任務としては不要である。実際、記録閲覧の成果は、解説に全然反映していない。つまり、解釈論の学習には役立たない。
そんな無用の調査を行う暇があるなら解説をもっと高度に判りやすい文章にするための努力に時間を使え、という批判は当然にあり得る。疑問を抱いても、それが解説・学習の対象たる解釈論と無関係であるなら、そんな疑問は措いて解釈論に集中するのが正しい方法だ、という主張に反論する意思はない。従前の本件評釈筆者各位は、そのようにして本来的任務に徹したのであろう。もしも余力があるなら外国法に言及するべきであり、そうすれば日本法との異同を無視していても優れた研究者との評価が得られるであろう。学ぶ側にとっても、得点増加に繋がらない事柄に神経を使わない方が要領よく試験に合格できることは論を俟たない。
しかし、かつて本判決を読んで疑問を抱いた私は、疑問解決に繋がる情報を期待しながら本件評釈を読んでいた。だから、自分が書く番になった際には、疑問を解決しないまま執筆することができなかった。調査の結果、前述の理解に達し、この理解を導き得る事実として、〈事実の概要〉中に「妊娠中の内妻Y」「事件後にXと婚姻したYが出産間近である等の情状」「未決勾留の更なる算入を求めて」と記述した。私と同じ疑問を抱く人の疑問解決に寄与したいとの意図であるが、それは百選の任務に属さないとの批判は甘受せざるを得ないし、そのような疑問に気を取られる人は私と同様の小者に終わるかもしれない。
それでも、気になるものは気になる。被告人の子は、その後どのように成長したのだろうか。被告人夫妻は、その後どのように生き、子とどのように接したのだろうか。本件で司法関係者が抱いた想いを裏切らない人生であることを願いたい。傍観者の放言である。
(平成24年7月13日稿)