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死刑および終身刑に関する所見


                                        愛知学院大学教授 (刑事法) 原田 保

 各主張の論理的問題について述べる。出典の個別引用は略すが、本学修士論文に同旨記述があることを摘示しておく。

1 死刑
 死刑執行後に冤罪が判明しても取り返しがつかないと主張されるが、他の刑罰なら取り返しがつくのか? 懲役でも、雪冤が死去直前や死後になった事例は過去にあったし、今後もあり得る。奪われてしまった自由な時間は絶対に取り返せない。罰金でも、別の支払ができなくなったことによる回復不可能な被害があり得る。被害の内容・程度は事案により異なるが、冤罪は常に取り返しのつかない被害を与えるのであって、死刑を廃止してもこの事実は消滅しない。
 故に、死刑廃止を冤罪対策とするのは論点齟齬であり、冤罪被害者支援の充実を妨げて死刑以外の冤罪被害者を無視する危険を持つ。これは犯人処罰を被害者保護手段にする見解と同様であり、正攻法ではない。
 人の判断に過誤皆無ということは絶対にあり得ないから、刑罰制度がある限り冤罪のリスクは必然的に付随する。故に、冤罪を確実に防止する方法は刑罰制度の全面廃止である。刑罰制度を維持するなら、不可避的リスクへの対処として、冤罪被害者や遺族への支援が必須事項なのである。雪冤後の対処を欠いたままでは刑事法として完結しない。絶望的に貧弱な現状からの脱却こそが冤罪対策である。
 更に、冤罪で死刑を執行される無辜の人が1人たりともあってはならないという主張は美しいが、自動車事故で死亡する無辜の人はどれだけあっても構わないのか? 日本において、冤罪死刑執行の実例は証明されていない (たぶんある) が、自動車事故では毎年数千人の人が死亡している。実例証明のない冤罪死刑執行を防ぐために死刑廃止を主張するなら、毎年数千人の人が確実に死亡する自動車事故を防ぐために自動車廃止を主張しなければ、一貫性を欠く。自動車が事故防止努力を以て是認できるなら、死刑も冤罪防止努力を以て是認されなければならない。
 反論として、自動車は毎年数千人の犠牲者に値する社会的有用性を持つ (運良く生きている人には便利である) が、死刑は犯罪抑止効果が証明されていないから冤罪のリスクに値する有用性を持たない、と主張されるかもしれない。これも、死刑廃止の根拠として掲げられるが、論理的問題を内包している。
 死刑以外の刑罰なら抑止効果があるのか? 「殺す」と威嚇されても犯罪を思い留まらない人が、「拘束して働かせる」とか「金を取る」とかいった威嚇に直面すると犯罪を思い留まるのか? 殺人罪を犯してしまった人には、死刑だけでなく、同罪に規定された懲役も、抑止効果を発揮できなかったのである。抑止効果不存在を理由とする廃止の主張を死刑だけに向けるのは、論理的整合性を欠く。
 このように、死刑廃止の根拠とされる事情は他の刑罰にも妥当する。故に、刑罰制度全面廃止の第一歩としての死刑廃止なら論理的に成立し得るとしても、死刑だけを廃止して他の刑罰を存置する主張なら、冤罪のリスクも抑止効果の不存在も根拠となり得ない。
 死刑存置論も、被害感情を根拠にすると、論点齟齬に陥る。刑罰は被害者や遺族のための復讐代行制度ではない。殺人犯人は、被害者が反社会的行動に終始した天涯孤独の身元不明者でも、死刑等の刑罰を受けなければならない。被害感情は量刑事情の一部でしかない。
 私見によれば、「生き続けることが許されないほど重大な罪」というものがあるか否か、という問題こそが死刑存廃の論点である。駄文筆者自身はそのような罪もあると考えているが、異なる見解を批判する心算はない。どう考えるかという問題であって、正解はない。どちらが多数派であるかを勘案するとしても、政策責任者が決断するべき事柄である。

2 終身刑
 仮釈放なしの終身刑なるものが提案されている。死刑廃止論者からは代替策としてであり、被害者側からは犯人の社会復帰を絶対に許さないという趣旨であるが、どちらにしても多大な疑問がある。
 まず、制度上の位置付けがおかしい。「新たな刑種」として提案されているようだが、仮釈放を不可能にする主張は「仮釈放制度の変更」として議論するべきである。
 仮釈放の可否は悔悛の状を更生保護委員会が判断するものである。刑事責任に関する司法判断が示された後に行政権が服役中の行状に基づいて行う社会復帰適否の判断を、予め司法判断によって禁止できるようにするというのが、提案の内容である。故に、司法権と行政権との関係を含めた議論を要する。仮釈放への期待を前提として受刑者処遇を行う行刑現場では、その期待を持てない受刑者の処遇が深刻な問題になる。
 そして、恩赦をどうするのかも議論を要する。恩赦制度が現状のままなら、仮釈放を不可能にしても恩赦による釈放の可能性が残る。それは終身刑の趣旨に反するとして恩赦の可能性も否定するなら、内閣の専権事項とされる措置を予め司法判断によって禁止する制度の可否という憲法問題が生じる。
 また、些末的と評されるかもしれないが、「終身刑」という「名称」にも問題がある。それは、仮釈放不可の自由刑は仮釈放可能な自由刑より内容的に重い筈であるのに、語義としては無期の方が終身より重いという齟齬である。
 学校の懲戒処分として行われる無期停学は停学期間終了を爾後に判断する不定期停学であるが、刑法に規定された無期刑は語義通りに期限が無いのであって、刑期は永久である。仮釈放されても、恩赦がない限り生涯仮釈放のまま仮釈放取消の威嚇に晒され続ける。受刑者が死亡すれば執行不能になるが、それで刑期が終わる訳ではない。これに対して、終身刑なら刑期は死亡の時点で終わる。これが「終身」の語義である。つまり、終身刑という名称で提案されている制度は、不定期の有期刑なのである。死亡を以て刑期が終わる刑罰が死亡後も永久に刑期が続く刑罰より重いというのは、不合理である。終身刑に刑期終了はないと主張するなら、語義逸脱・誤用である。
 更に、「無期刑の実質刑期は10年である」といった誤解に基づく議論があってはならない。仮釈放された無期刑受刑者は25年以上服役している。有期刑の仮釈放は刑期終了直前が普通であり、余程の模範囚でも刑期の7割以上を服役した後である。無期刑は10年、有期刑は刑期の3分の1、というのが法律上の必要服役期間だが、実際にはその2倍以上の服役を経ている。そもそも、仮釈放は裁量事項であって、保証されている訳ではない。受刑者の半数近くは最後まで仮釈放されず、無期刑の仮釈放は年間1桁に留まる。服役中のまま生涯を終える受刑者は毎年3桁に上る。政策判断については論じないが、議論の前提として実態を正しく認識しておくべきである。