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被害者支援の方法


愛知学院大学客員教授 (刑事法) 原田 保
 令和2年に予定されて令和3年に延期された日本被害者学会シンポジウムの論題は、「犯罪者による被害弁済の実現のために求められるもの」である。中日新聞令3・1・5朝1頁には、被害者から加害者への損害賠償請求再提訴費用を助成する愛知県条例案が報じられている。
 被害者学会論題は「加害者に出させる」方法の検討であり、愛知県条例の目的は「時効消滅の阻止」である。後者は前者の一部であり、両者は発想を同じくしているが、被害者支援としては重大な欠落がある。
 まず、加害者が死亡して法的責任を負う者が存在しない場合には、全く対応できない。つまり、加害者死亡事件の被害者を完全に無視している。また、法的責任を負う者が存在していても、賠償に足る資力がなければ賠償は実現されない。資力を超える賠償義務に苦吟するのは加害者の自己責任だが、加害者からの出捐に拘泥すると、賠償を得られない被害者は債務不履行の苦吟に付き合わされることになる。第二次被害の一種である。これを放置する制度が被害者支援の名に値するとは、到底認められない。
 金銭に関する被害者支援は「被害者が得る」ことによって実現される。その際の問題は損害補填に足る金銭提供の有無であって、その直接的出捐者が誰であるかは関係ない。「加害者に出させる」ことは、法的には当然だが、「被害者が得る」ための絶対的必須事項ではない。
 「被害者が得る」ための最も簡便かつ確実な方法は、国や自治体からの出捐である。これで、金銭に関する被害者支援は完了する。出捐した公金については、爾後に加害者に求償すればよい。求償実現の保証はないが、それは賠償実現の保証がないことと同じである。だから、加害者からの出捐が実現されないことによる損失継続の危険を負担するのは、国や自治体か、被害者か、という選択になる。被害者支援の趣旨に適う方法がどちらであるかは、論じるまでもない。
 まず公金からの被害補填、次に加害者への求償、という制度は、幾つかの国でかなり前から採用されている。この外国立法例は、かつて法律雑誌で紹介されていたが、現在の話題になっていない。その理由は、駄文筆者の知識外である。公金の使途は政治的判断を伴うが、ハイテク兵器や宇宙の神秘が被害者の生活再建よりも優先されることには、賛同できない。
 賠償要求と同じく処罰も当然の責任追及だが、被害者支援として論じる点に、根本的問題がある。処罰で満足して必要な支援が忘却されることもあり、刑罰制度歪曲も生じる。これは、昔から問題提起されていた。
 加害者処罰は国の権限だが、これを被害者の権利として論じると、不処罰は権利侵害であことになる。国と被害者とを混同・すりかえ・一体化する論理歪曲により、被害者に対する国の直接的義務が埋没し、罪刑法定主義、責任主義、無罪推定原則、等々の国家刑罰権濫用防止が被害者よりも加害者を尊重する不当な制度だと非難される。逆に、国家刑罰権拡大を被害者の権利拡大という名目で肯定的に評価することが可能になる。処罰を求める被害者は、国家刑罰権拡大の口実に利用できる。刑事被告事件にならない加害者死亡事件の被害者は、利用価値がなく、無視される。
 しかし、加害者の生死・資力に影響されるなら、被害に応じた支援を受ける権利の保障にならない。だから、加害者への責任追及を前提にしてはならない。加害者死亡事件の被害者を、原則類型としてまず支援するべきだ。駄文筆者は昔から述べているが、多数意見になる見込みはない。
(令3・4・3)